聖書をどのように生きるか。私たちにとって、生きるということは一つの大きな事業です。この大事業をどのように管理していくか。たとえビジネスをしていないあなたも、例外なく「自分の人生」の経営者といえるのです。ですから「ビジネスと聖書」を共に考え、実行し、バランスの取れた幸せを手に入れてまいりましょう。
本日の結論:神は無力な私たちを救い、神の栄光を現すために選んでくださったのです。
先週日曜日の礼拝での出来事です。毎週メッセージは冬木友博主任牧師とビジネス牧師の私が交代で行っており、先週は私の担当でした。コロナ対策として、礼拝堂ではソーシャルディスタンスを取りながら、普段は閉まっている礼拝堂の窓とドアを開けながらの礼拝です。
説教が始まって5分ぐらいして、外からホームレスの男性が歩いてくるのが見えました。一度講壇に上がりますと「ちょっと待ってください」と降りることもできず、心を騒がせながら説教を続けていました。すると数人のスタッフが察して、入り口で男性を迎え入れました。見るからにホームレス風で何日もお風呂に入っておらず、食事も十分に取れていないようです。
何が起きるかと、周りの人がざわざわしながらも席に着いた男性は、何とバックパックの中から聖書を取り出したのです。それを見て少し安心したのは私だけではなかったことでしょう。私どもの教会ではバイリンガルでメッセージを行っており、主任牧師が話される日は、私が横で通訳し、私が担当の日は日本語と英語で交互に話します。そのため、この地元の男性も最後まで静かに聞いてくださっていました。そして献金の時間となり、彼のそばを担当者が献金袋を持って通ったときです。バックパックから財布を取り出して、何と中身をすべて献金されたのです。まさに以下の聖書の箇所が思い浮かべられます。
「それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。『まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです』」(マルコ12:41〜44)
あとになって男性が献金したコインを数えますと、その額1・44ドル(約158円)でした。まさにイエス様が言われた通りです。「この貧しい男性は、どの人よりもたくさん投げ入れました。この男性は、貧しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れました」。帰りがけにスタッフがドネーションの食品を袋に詰めて手渡すことができたのを最後に、この男性を教会で見ることはありませんでした。数人のスタッフと共に、人をうわべで判断してしまったことを悔い改め、男性の安全と祝福を祈りました。
「しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る』」(1サムエル16:7)
聖書の登場人物の中で最も人気のある人物の一人に、ダビデという王様がいます。ダビデは、羊飼いの家に生まれた8人兄弟の末っ子でした。ある時、一人の預言者に「この羊飼いの家の兄弟の中に、次の王がいる」という神の言葉が下ります。そこでその家を訪ねた預言者が、兄の一人を見て、おそらく立派な容姿だったのでしょう、「この人?」と思ったとき、神からかけられたのが上の言葉でした。そして、末っ子の少年ダビデが選ばれたのです。イケメンや美女にときめいてしまうのは人の常ですが、容姿に流されては正しい判断ができません。
主は、ダビデがその心において正しく、正直であり、神様を信じる信仰を深く持っているからダビデを選んだのではありません。ただ、ダビデの心を見て、主が愛されたからなのです。神の選びは、ただ神の御心によるのであり、人の側には選ばれる条件も権利もないのです。
神がイスラエルの民を神の民として選んだ理由をモーセは民に語っています。「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえ」(申命記7:7、8)であると語っています。<ただ、あなたに対する主の愛のゆえに>とあります。
私たちの場合の救いも同じです。「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ・・・たのです」(1コリント1:26〜30)とあります。神様に選ばれ、赦(ゆる)された者として、もっと自分に自信を持ち、ほんの一握りの人しか到達することができない世界のナンバーワンを目指すのではなく、神の目にオンリーワンであることの大切さを理解し、それを生きられる者を目指してまいりましょう。
本日の結論:神は無力な私たちを救い、神の栄光を現すために選んでくださったのです。
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