聖書の福音は、イエス・キリストの復活にかかっていると言っても過言ではありません。使徒パウロは「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです」(1コリント15:17)と言い切っています。キリストが十字架につけられた出来事は、歴史の事実として誰もが認めるところですが、キリストの復活に関しては、それを認めたくない人たちの陰謀によってもみ消されようとしました。
イエス・キリストの弟子たちは、師であり救い主であるイエス様が十字架にかけられようとしたとき、全員が逃げてしまいました。その同じ弟子たちが、キリストの復活を見た後には、脅されようが危険な目に遭おうが関係なく「私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」(使徒4:20)と言い切りました。少し前までは臆病だった弟子たちが、こうまで変わってしまったというのは、イエス様の復活が本当であったという確かな証拠ではないでしょうか。
そして、キリストの十字架の贖(あがな)いの確かさが、復活によって証明されたのです。「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです」(ローマ1:4)。イエス様の復活によって、罪の赦(ゆる)し、義認、聖化、神癒、栄化、死後の命と天国は確かなことなのです。
「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです」(ローマ8:11)
私たちが聖霊に満たされるならば、この事実が確信となり、イエス様の復活の証人として生きていけるのです。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)
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