日本語で書き下ろされた旧新約聖書注解シリーズ「VTJ・NTJ」。その旧約側のシリーズである「VTJ」の4冊目『VTJ旧約聖書注解 コヘレト書』(小友聡著)が、「出エジプト上・下」「列王記上」に続いて、この3月に発刊されました。コヘレト書は、新共同訳や聖書協会共同訳では「コヘレトの言葉」、口語訳では「伝道の書」、新改訳では「伝道者の書」の名称で呼ばれている書です。
小友先生は、その1年前に『コヘレトの言葉を読もう』を上梓(じょうし)されており、その中で「コヘレトと黙示思想」というトピックを語られていました。今回の『VTJ旧約聖書注解 コヘレト書』は、「コヘレトの思想と神学が黙示思想との対論」(25ページ)によって説明されており、「コヘレトと黙示思想」が注解書全体の前提になっています。
また対論の相手についても、旧約聖書における黙示文書であるダニエル書(紀元前164年ごろ成立)と特定されており、それ故本書では、コヘレト書の成立年代が紀元前150年ごろとされています。従来コヘレト書の成立年代は紀元前3世紀ごろとするのが一般的であったわけですから、これは思い切った提起です。しかし本書では、ダニエル書との対比が詳細になされており、それ故受け入れられる提起であろうと思います。なお、『コヘレトの言葉を読もう』が一般読者向けであるのに対し、本書は「深く学びたい人」向けだといえます。ただ、文章は平易で、読みづらいというわけではありません。
私はクリスチャントゥデイで30回にわたってコヘレト書の講解をさせていただきましたが、その第21回でお伝えした8章1~7節の「王の言葉を守れ」というテキストは、どうにも理解し難い箇所でした。しかし本書は、8章1~8節を緒論で取り上げ(24ページ以下)、ダニエル書との酷似を指摘することによって始まっています。そしてこの箇所は、ダニエル書への応答として書かれているとしています。
さらに、8章1節の「ペーシェル(解釈)」というヘブライ語を、ダニエル書の「ペシャル(解釈)」というアラム語に対応するものだとしています。ダニエル書においては「王の夢の解釈」として語られるこの「解釈」こそが、将来のことを先取って決定させてしまう「黙示思想」なのです。コヘレトはそれに対峙しているというのです。
注解本文においては次のように記されており、コヘレトが反黙示思想家であることが強調されています。
それは、ペーシェル解釈がイスラエルの伝統的な知恵的解釈を破壊し、それによって社会的な混乱が引き起こされているからではないだろうか。(中略)もし、このような終末論的解釈がまかり通るならば、ノストラダムスの大予言に懸念されるように、結果として社会混乱を引き起こすに違いない。実際、オウム真理教はハルマゲドン戦争の到来を予告して、社会不安を煽(あお)った。黙示的/終末論的な解釈は、後に初期キリスト教がそれを批判的に継承したとはいえ、伝統的な社会認識を破壊する危険を孕(はら)んでいる。それに対して、コヘレトは言葉の解釈において終末論的解釈を退け、その言葉からむしろ現実的/倫理的な意味を引き出し、現実を引き受けて社会を担う生き方を選び取ろうとしている。コヘレトは黙示的終末預言が迷い込む不幸に気づいているのである。そこに、コヘレトの黙示批判の動機があるのではなかろうか。(122~123ページ)
本書は終始、コヘレトが反黙示思想家であるという立場で執筆されています。しかし小友先生は、ダニエル書を批判しているわけではありません。「あとがき」には以下のようにあります。
筆者がコヘレト研究で辿り着いたのは、コヘレト書が旧約最後に成立した文書であって、コヘレトが対峙したダニエル書と共に、両者がユダヤ教の旧約正典に収められたという認識である。この相反する思想内容の二つの書が旧約に存在することに、ユダヤ教のバランス感覚を筆者は見る。それはまた、初期キリスト教の終末観にも繋(つな)がると考えられる。(166ページ)
私自身も、コヘレト書との対比で読むならば、難解なダニエル書を興味深く読むことができます。両書がセットで読まれることが、より効果的なのだと思います。
本書は、コヘレト書に関する最新かつ専門的な注解書です。人によっては、直ちに同意できない部分もあるかもしれません。しかし、行き過ぎた黙示思想にブレーキをかけ、「今を生きよ」と語り掛けるコヘレト書を読むためには有益な一冊です。
■ 小友聡著『VTJ旧約聖書注解 コヘレト書』(日本キリスト教団出版局、2020年3月)
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