「年中無休、24時間フリーコール」という広告文字を見掛けることがあります。さまざまな業種が採用していますが、いずれも電話対応の専任スタッフがいて、いつでも緊急の依頼や相談に応えようとしているものです。
確かに、24時間受付可能な大手葬儀社などに電話をかけると、真夜中であってもしっかりと対応してくれます。いざというときには大変ありがたいものです。
「よろず相談窓口」を教会連携の中に
敷居が高いといわれる日本のキリスト教会が、評判の良い「よろず相談窓口」になることを願っていた私は、この「年中無休、24時間フリーコール」の相談窓口を、キリスト教会の連携の中に作りたいと考えました。
ただ、葬儀社やセキュリティー会社への緊急電話なら、日本社会で必要性が認められ、既に多くの実績がありますが、面識のない牧師への「よろず相談窓口」では、そう簡単に機能するはずがありません。
ただでさえ、教会の敷居は高く、牧師に相談を持ち掛ける人の少ない日本社会ですから、直球勝負でうまくいくとはとても思えませんでした。
そこで熟慮の末、教会の牧師になるのを諦め、気軽に問い合わせのできる株式会社を作り、牧師が対応しやすく、一般から依頼や相談を受けやすいサービス事業を全国展開してみようと考えました。
教会の歴史からすると異端的な発想ですが、30年以上株式会社で働いてきた私にとって、宗教法人のキリスト教会より、株式会社の方が一般社会に寄り添いやすいと感じていたからです。
社会と教会をつなぐ相談電話として
牧師が対応するサービスとしては、冠婚葬祭の司式や人生相談などが思い浮かびました。ただ、私自身にはそれほどの経験も能力もありませんし、依頼が入ったとしても、全国対応するのはとても難しいことです。
そこで、全国の牧師や地域教会の協力を得るため、説明会などを実施し、連携者を募っていきました。幸い、志のある多くの牧師先生が連携の意思を示してくださいました。
また、全国からの相談や依頼を神戸で直接受け取り、地域のキリスト教会が長期にわたって寄り添えるように、サポート体制を充実させ、インターネットを用いた広報活動や連携者管理に工夫を加えていきました。
このような作業は私にとって経験のない分野でしたので、試行錯誤がいまだに続いていますが、それでもさまざまな相談電話が入るようになりました。
心を込めて、緊急電話の相手に寄り添う
真夜中や早朝にかかってくる緊急電話は、大切な家族が重篤な状態か、召された直後のことが多く、緊張が走ります。こちらが熟睡していることも多く、無理やり目を覚まし、電話の前で大きく深呼吸して電話を取ることになります。
祈りながら相手の心の痛みに寄り添い、情報をできるだけ正確に入手し、心を込めて応答します。葬儀に関する依頼であれば、葬儀社に連絡を入れ、翌朝、司式牧師が遺族に寄り添えるように手配をかけます。
日中の相談内容はさまざまですが、長時間の電話対応になることもあります。了解を得て訪問することを目標にしますが、遠方の場合、地域の牧師先生に連絡を差し上げ、訪問をお願いすることになります。
このような最初の訪問が起点となり、長いお付き合いになり、信頼関係が増していくケースも少なくありません。
日本宣教の初動は、「善き隣人」の電話対応から
長期にわたり訪問を繰り返し、継続的な「傾聴」を提供させていただいたケースは、サービス業としての事業性には乏しいですが、大変大きな成果を上げてきました。
弱さが増している日本社会にとって、「善き隣人」として訪問し、寄り添い続けることは、より広範囲にわたって品質の高いサービスを届けることにもつながります。「善き隣人」の存在こそが優先して求められているのでしょう。
この4月から非営利型の働き「善き隣人バンク」を発足させた理由がここにあります。この働きは、やがて全国の地域教会や一般の事業者を巻き込み、日本の多くの家庭に祝福を持ち運ぶことになると信じています。
そして、この働きの起点となる「年中無休、24時間フリーコール」の電話対応の大切さは、一層増していくでしょう。電話の向こうにおられる弱さを抱える人々に、心を込めて寄り添う「善き隣人」としての姿勢が、日本宣教拡大の有効な初動になるのです。
律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。(ガラテヤ人への手紙5章14節)
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