世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の「和解の教育タスクフォース」が主催する「平和と和解のためのファシリテーター養成セミナー」が11、12の両日、オンライン会議システム「Zoom(ズーム)」を利用して開催された。2日間のセミナーには、スタッフや関係者を含め延べ約50人が参加。第2期となる今回のセミナーは、来年4月まで続く全5回シリーズ。第1回は「心をむける」をテーマに、一人一人のインナーピース(内面的な平和)に焦点を当てたセッションが行われた。
セミナーの冒頭、同タスクフォースの責任者である元関西学院大学教授の山本俊正氏があいさつ。新型コロナウイルスの感染拡大は、健康上の脅威だけではなく、経済や雇用、生活全般にさまざまな影響を与えていることに触れ、これらの問題はウイルスによって生じたものばかりではなく、これまで隠れていた社会のさまざまな問題が浮き彫りになってきたものだと指摘した。その上で、こうした問題を「排除や暴力」ではなく、「傾聴や対話」によって解決していくスキルを学ぶことがセミナーの目的だと説明した。
平和の段階、基礎は「内面的な平和」
セッション1の講師は、清泉女子大学教授の松井ケティ氏。平和教育が専門の松井氏が、平和の段階や和解の定義とプロセス、和解が成立した具体例などについて紹介するとともに、参加者も幾つかのグループに分かれて、それぞれの意見を分かち合った。
松井氏は「平和の段階」として、①内面的な平和、②人間関係の平和、③社会的平和・地域の平和、④地球規模の平和、⑤人間と地球との平和――があると説明。①は自分との、②~④は他者との、⑤は自然とのハーモニーによってなされるもので、他者や自然との平和を築くためには、まずは自分自身の中に内面的な平和が必要だと語った。また、内面的な平和を築くためには、自分自身を慈(いつく)しむ姿勢が大切だとし、それぞれの心の中にある「愛」や「希望」が、その資源になると説明した。
和解は長いプロセスを必要とする
次に「和解」という言葉の定義について話し合った。参加者がグループに分かれて意見を交わした後、松井氏が、何百回もの対話を繰り返す長いプロセスであることや、被害者・加害者を含む多くの関係者の努力が必要であることなどを説明。「和解とは、問題をすぐに解決できるものではありません。すぐに解決するのは多くの場合、妥協。妥協であれば半分しか解決できていません」と語った。
そして和解に至るには、▼真実を明らかにする、▼加害者による誠実な謝罪、▼被害者による赦(ゆる)しの心、▼共感する努力と補償、▼人権尊重、▼非排他的な包括的社会の構築――などがプロセスとして求められてくると説明した。特に「被害者による赦しの心」については、加害者のためよりも、被害者自身を癒やすためのものだと説明。加害者を赦すことで、被害者は内面的な平和を得ることができると語った。
実際に和解が成立した例としては、人種隔離政策「アパルトヘイト」を克服した南アフリカを紹介。ここでは、アフリカの伝統的な概念「ウブントゥ(ubuntu)」の精神を基に、和解が進んでいったという。ウブントゥとは「あなたがあって私がいる」という考え方で、「コミュニティーを構築し、基本的な人間性に敬意を示し、分かち合い、共感し、寛容的にすべての人が得をするような親切な行動」を伴うという。
西洋の法律的な方法では、すべての人が罰を受けなければならないと松井氏。南アフリカでは、このウブントゥの精神に基づき、加害者が謝罪をする場を設け、謝罪した場合は互いに赦し合うというプロセスをへていくことで、和解が生まれていった。こうした和解のプロセスは世界各地の伝統の中に見られるとし、ハワイの「ホ・オポノポノ」やイスラム社会における「スルハ」、また水俣病により地域が分裂した熊本県水俣市で人々の絆を取り戻すために用いられた「もやいなおし」などを例として挙げた。
ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス
セッション2では、イエズス会司祭の柳田敏洋氏が、自身の取り組む「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想(めいそう)」を紹介し、参加者と共にさまざまなタイプの瞑想を実践した。
ヴィパッサナー瞑想とは、上座部仏教に由来する瞑想で、スリランカやミャンマー、タイを中心に実践されている。1970年代以降、米マサチューセッツ大学教授のジョン・カバットジン氏らの手によって、ヴィパッサナー瞑想を基に宗教色を排除した「マインドフルネス瞑想」が生み出され、医療やビジネス、教育など幅広い分野で普及していった。祖母の代からカトリックの柳田氏は、インドでヴィパッサナー瞑想に出会い、「アガペ(神の無条件の愛)の教えと非常に重なるところがある」と考え、キリスト教的解釈を加えた「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想」に取り組むようになった。
価値判断するのではなく、気づく
マインドフルネスの考えは、「①意図的に、②今この瞬間に、③価値判断をすることなく、④注意を向けること」が中心となる。例えば、朝にシャワーを浴び洗髪しているとき、普段は「髪を洗っている」ということを考えずに、頭の中ではその日の予定などを思い巡らすなどしており、「自動操縦モード」になっている。これを「私は今、髪を洗っている」と意図的に意識を向けて行う。また人には、他者の態度を見て「自分をバカにしている」と価値判断を行い、快・不快を感じることが多くあるが、「私は今、他者の態度を見て『自分をバカにしている』と思った」と、自分の中に起こった思考をあるがままに受容し、その思考の善し悪しなど、価値判断を行わないようにする。こうしたマインドフルネスの手法は、うつ病の再発防止などに効果があることが研究で明らかになっているという。
ヴィパッサナー瞑想で中心となる考えは、「今、この瞬間の感覚・感情・思考に価値判断を入れることなくあるがままに気づく」というもので、マインドフルネスと基本は同じ。柳田氏が提唱する「キリスト教的ヴィパッサナー瞑想」では、これを「アガペの心」で解釈し、自身の中で起こる「痛み」(感覚)や「怒り」(感情)、「決めつけ」(思考)も「内なる隣人」と捉え、「人をつい裁いてしまう自分を裁かずにただ気づく」という姿勢で考えていく。
柳田氏は、自身が責任者を務めるイエズス会無原罪聖母修道院で、キリスト教的ヴィパッサナー瞑想の指導を行っているが、2年前にはバングラデシュにある知的障がい者の共同生活コミュニティー「ラルシュ」に招かれ、スタッフ向けに指導したこともある。そこには、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教など、さまざまな信仰を持った人がいたが、知的障がい者に対して時に怒りの感情を持ってしまうことが、すべてのスタッフ共通の悩みだった。こうした怒りへの対処としても、ヴィパッサナー瞑想は宗教や人種に関係なく有効だったという。
さまざまな瞑想法、10回の怒りが9回に
実際の瞑想法としては、呼吸瞑想、体感覚瞑想、手動瞑想、指動瞑想、歩行瞑想、食べる瞑想、音を聞く瞑想、感情や気分に気づく瞑想、思考に気づく瞑想など、多様な方法を一つ一つ紹介し、参加者と共に実践した。柳田氏によると、自分の呼吸に意識を向ける呼吸瞑想が基本となり、歩行時の一歩一歩に意識を向ける歩行瞑想は、カバットジン氏と共にマインドフルネスの普及に貢献したベトナム人僧侶のティク・ナットハン氏が、よく実践していた瞑想法だという。
柳田氏は、「毎朝10分でも続けることで、少しずつ体が整えられていきます。『塵(ちり)も積もれば山となる』で、次第に日常や仕事の場でネガティブな感情に巻き込まれなくなり、より深い心の自由に自分を戻していくことができます。10回の怒りが9回に減る。そういうところに、この瞑想の実りを見ていくのがよいでしょう」と述べ、毎日短時間でも生活の中に瞑想を採り入れ、継続していくことを勧めた。
第2回となる次回は、「見方をかえる」をテーマに9月12、13日に開催される。セミナーは今後、新型コロナウイルスの状況次第では、オンラインではなく対面でも開催できるよう工夫されており、さらにオプションとして、水俣市や韓国を訪問してのフィールドワークも計画されている。