わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 (エレミヤ29:11)
内村鑑三の詩をご紹介しましょう。
春は来たりつつある
雪は降りつつある
しかし春は来たりつつある
寒さは強くある
しかし春は来たりつつある
春は来たりつつある
春は来たりつつある
雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある
慰めよ 苦しめる友よ
なんじの患難(なやみ)多きにもかかわらず
なんじの苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
春はなんじにもまた来たりつつある
冬来たりなば春遠からじ。どんな冬の厳しさの中にも、春の到来を知ることは幸いです。
幸せでいるというのは、どんな状況の中でも希望をもって生きることです。希望がないように見え、辛い時でさえ、それにもかかわらず前進していく勇気が必要です。困難なことがあるのは、祝福される最大の機会なのです。
寒さの冬があるから、春の暖かさが分かるのですね。
子どものころ、田舎で育ちましたから、よく麦踏みをさせられました。麦の小さく伸びた芽を踏みつけるのです。その時は、なぜこんなことをするのかなあと思いました。父は「踏みつけないと霜が降りた時、麦がだいなしになるからだよ。麦のためなんだよ」とよく教えてくれたものです。踏まれた麦は霜が降りても大丈夫です。しっかりと大地に根ざして、春には大収穫です。
あなたの人生は、今日いかがですか?苦しみから逃げることばかり、考えてはいませんか?逃げ出しては勝利できないことが、人生にはいっぱいあります。仕方がないとあきらめれば、何の良いことも起こりません。どんなつらいことも、いやなことも、あなたの人生を高め、深め、広くするためにあると考えたらいかがでしょう。もちろん、そのように信じ、生きる力は神から来ます。どんな時にも、平安と希望に生きる力を、イエス・キリストは与えてくれます。それは、イエス・キリストが悲しみを知り、苦しみを味わい、痛みを知る人だからです。聖書は、
私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。 (ヘブル4:15)
主(イエス・キリスト)は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。 (ヘブル2:18)
と語っています。
いいえ、そればかりではありません。イエス・キリストは、私たちのために、十字架にいのちを捨て、三日目に復活した本当の「救い主」なのです。
(C)マルコーシュ・パブリケーション
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。