タイジは底知れぬ闇の中に浮かんでいることに気が付きました。不思議です。闇の中だというのに、何も怖くありません。タイジは目を閉じていましたが、自分が闇の中にうずくまっていることに気付いていました。そしてその闇は、闇でありながらも無数の色の光が輝いていることを感じていました。
神様がタイジの腕を取り、その先に小さなかわいらしい指をつくってくださるのを感じました。まるでタイジを愛でるように、足の先に小さな指をつくってくださるのを感じながら、とても幸せでありました。神様がタイジのおなかに優しく触れると、タイジのおなかの中がより精密につくられてぷっくりと膨れてきます。神様の優しい手触りで自分の体がゆっくりとつくられてゆくことをタイジはただ幸せに感じていました。
ぷくぷくと育ってゆくと、タイジの両頬のわきにつくられた耳が、音をキャッチし始めました。ドンドン地を踏みしめる音、そしてなにやら語る声。タイジは耳を澄ませて、音を楽しんで遊びました。
ある日、タイジは初めて訪れる気持ちに驚きを隠せませんでした。どうしてでしょう、なにやら心に暗雲が立ち込めて、不安でいっぱいになったのです。自分はいつまでも、ここでこうしてうずくまって幸せにいるだけではない存在であることに、その直感は気付いたのです。開かれ始めたまぶたのすき間から、不安げに小さな瞳をのぞかせました。なんだかこの世界の向こうは、とてもまぶしくて、とても賑やかだ。そんな気がするのです。そして自分はここを出て、その世界に出てゆかなければならない。そんな予感に震えて、出来立ての手のひらを握りしめました。
タイジは注意深く耳を澄ませて聞きました。町の喧騒、昼下がりの太陽の光のそよぐ音、紅茶のカップを洗う音、ある時は怒鳴り声、優しい声も聞きました。「早く出ておいで」。そんなふうに語りかける声も聞きました。どうやら自分を待ち焦がれている誰かが、外の世界にはいるようです。でもタイジはただ、ずっとここにいたい、そんな気持ちしか持てません。だって何やら外の世界は、あんまりに賑やかで、あんまりにうるさくて、あんまりにいろいろなことがありそうなんですもの!
(どう考えても、僕があんなうるさい世界で生きてゆけるように思えない。なんだか恐ろしそうなものもたくさんありそうじゃない)そう思って、タイジは体をギュッと縮めてイヤイヤしました。
「そのとおり」。そう言ったのは、タイジが神様につくられてゆくときもずっと共にいたダニエルでした。「君の感じている通り、恐ろしい世界かもしれない」。タイジは目を閉じたまま、闇の中に光り輝くダニエルを見つめました。
(だったらずっとここにいたいよ。僕をつくってくれた神様と、天使さまのそばにずっとずっといたいんだよ)タイジはそう訴えました。「そうだね。それはとっても幸せなことかもしれないね。君の行く先は、大きな嵐も吹き荒れる、時にとっても恐ろしい世界だから」。(そうでしょう)「君の行く手には、あらゆる困難と、困窮と、真っ暗な闇だってあるかもしれない」(そうでしょう?)やっぱり自分の予感は正しかった、とタイジは得意げに訴えました。
しかし、どうしたことでしょうか。(コンナン?コンキュウ?マックラヤミ・・・それは恐ろしそうだけど、いったいどんなものかしら)タイジは好奇心を膨らませたのです。ダニエルは言いました。「それはここにいては決して味わえない、ましてや神様のもとに帰ったらより一層に味わうことのできないものなんだ」(それはもったいないんじゃないかしら)タイジはちょっとおもての世界にキョウミシンシンになりました。ダニエルは追い打ちをかけるように言いました。
「そしてその旅の果てで光を掴んだ者たちは、とても強くたくましく、神様のもとにいずれ帰ったときには、神様のみそばに仕え、み使いをも従える者になるというんだよ」(まあ)タイジは目を見張りました。(でもヤミの中に入って二度と、出てこられないとしたならば?)タイジは念入りに聞きました。
ダニエルはほほ笑みます。「そうだね。闇の中にとどまって、苦しみのうちでもがいて、もうここから出られないと思うときもあるだろう。でも、君をつくったのは誰だったか、君を愛しているのが誰だったか、君は覚えていられるかい?」(それは・・・覚えていられるよ。だって・・・だって、僕を心底愛していて、この指、そしてその先の爪、耳たぶのへこみだって僕のために一生懸命考えてかんぺきにつくってくれた方のことを知っているもの)
「それを忘れるときもあるかもしれない。いや、たいていの人が忘れてしまうんだ」(まさか。だって、こんなにも愛されて、つくられたこと、僕ははっきり分かってるよ)「そう、それでもそれを忘れてしまうほどに、大きな嵐が吹いているのがおもての世界だとしたら?」(そんな・・・でも僕は忘れはしないよ。僕を大切につくられた、あんなにお優しい手を忘れるわけがないじゃない。だってはっきり覚えている。どんなに優しいまなざしで、僕の腕を、その中身のひとつひとつをおつくりになられたか、優しい光のような手触りを感じながら、僕は僕になったんだ)
「そう、でも、外は大嵐が吹き荒れて、あっという間に君はそのことを忘れてしまうかもしれない」(そうなの? そんなに恐ろしいことってあるの?)「そう、それはあまりに恐ろしいこと。でもたいていの人は、人生の嵐、困難、困窮の中で、自分をおつくりになった方のことを忘れたり、はたまた、憎んだりすることもあるんだよ」(憎む?・・・そんなことって!)「そう、でも、同じ人生の嵐や困難の中で、自分をおつくりになった方のことを思い出そうとする人もいる」(思い出せるの?)ダニエルはタイジの目をじっと見つめて言いました。「本当に求めるならば、必ず思い出せるんだ」(僕はもとめるよ!)タイジには自信がありました。(たとえ忘れてしまったとしても、かならず僕はもとめる!)
「それならば、どんなに美しい人生だろうか」。そうダニエルはほほ笑みました。(どうして?)「暗闇の世界で光を見るほどに、まばゆい出来事はないからだよ」。タイジの胸にむくむくと冒険心が生まれてきました。光と闇の混在する、カオスのような世界がその目に見えるようでした。その中で僕は力強く歩み、ある時は負けそうになり、くじけそうになっても、きっと自分をつくってくれた、あの愛、光を思い出してみせるんだ。そう思うと、勇気が湧いてくるのです。
月日が流れ、タイジが出てゆく日がやってきました。あまりのまぶしさと、肌を刺す冷たさに恐れをなして、タイジは泣きわめいて生まれました。「元気な赤ちゃんね」「男の子だわ」。抱きしめる腕におびえ、そしてしがみつきました。
さて、彼は布で巻かれ、お母さんに歌を歌われ、あらゆる刺激の嵐の中でもうすっかりダニエルと語らったことも忘れてしまいそう。彼はもはや、まわりの世界にキョウミシンシン。いろんな光が押し寄せるこの世界に、小さな目をくるくるとさせて夢中です。果たして彼がこの世界で「本当の」光のことを思い出すときは来るのでしょうか・・・。
でもきっと大丈夫。それは、探せば必ず見つかる、求めれば必ず与えられるものなのですから。だって、とうの神様ご自身が、手放したくないほどに彼を愛されていて、片時も忘れずにいてほしいと願っておられるのですからね・・・。
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さとうりょうこ
1978年生まれ。埼玉県在住。2013年、友人の導きにより、日本ホーリネス教団久喜キリスト教会において信仰を持つ。現在、県内の障がい者施設で働きながら、加須市の東埼玉バプテスト教会に通い、2018年4月1日イースターに木田浩靖牧師のもとでバプテスマを受ける。フェイスブックページ「さとうりょうこ 祈りの部屋」。