彼らは使徒たちを真ん中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか」と尋問しだした。そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「・・・この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。・・・この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4:7~12)
美しの門で物乞いをしていた生まれつきの足なえの男に、ペテロとヨハネがイエスの御名で祈ると、奇跡的な癒やしの御業が起こりますが(3章)、それにより町中が騒然となります。ローマ帝国統治下のエルサレムでの騒動は、あってはならないことでしたので、指導者を巻き込んでの大問題となりました。今日読んだ箇所は、2人が捕らえられ、「何の権威で、誰の名によってこんなことをしたのか」と取り調べられたときの物語です。この箇所から、祈りの中で思い起こすべき3つのポイントを確認してまいりましょう。
1. 「十字架と復活の主」の意味の大きさ
私たちが罪のために死ぬ代わりに、イエスは身代わりとなって十字架で死んでくださいました。それだけでなく、神の力によって死人の中からよみがえり、死の力を超える力があることを証明されたのです。私たちがキリストに結びつくなら、十字架のあがないによって罪が清められます。また、復活の主によって、死を超える永遠の命を頂くことができるのです。私たちには、そんな救い主が共にいてくださるのです。
さまざまな人との出会いは、人生に大きな影響を与えます。何より、十字架と復活の救い主イエスとの出会いは、私たちの人生を根本から変えるのです。
2. 主の御名を用いる意味の大きさ
私たちは、「御名によって祈ります」と、まるで習慣のように言ってはいませんか。ペテロは、癒やしは「イエス・キリストの御名による」と言っています。もう一度、主の御名を用いる意味を思い起こしましょう。
物乞いをする足なえの男に、ペテロが「金銀は私にはない。・・・ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と祈ると、癒やしの奇跡が起こりました。貧しい弟子たちは、施したくても金銭を持ってはいませんでした。ですが、その代わりに金銭よりもはるかに素晴らしいものを男に与えたのです。それは、イエスの御名による祈りです。
イエスの御名には、力があります。イエスの御名は、私たちの人生を変える、祝福への切り札です。この御名を使うことができるのは、イエスを信じる私たちに与えられた特権です。選ばれていることを感謝し、御名にのみより頼んでいきましょう。
3. 世界でただ1つの価値ある御名
私たちの罪を清め、悪の力を砕き、病を癒やす素晴らしい御名は、世界でただ1つ、イエスの御名です。この価値ある御名が私たちに与えられていることを感謝し、用いてまいりましょう。
使徒たちは、このイエスの御名だけを用いて、世界を変えました。使徒たちが御名によって祈ったときに、人々は癒やされ、聖霊の恵みに満たされ、信じる者が次々と起こされて教会が誕生していったのです。尋問されるペテロが人々に「この方以外には、だれによっても救いはありません」と語った言葉は、今を生きる私たちにも通用します。イエス・キリスト、この方以外に、救いはありません。今一度、救い主イエスが私たちと共にいて、恵みを届けてくださっていることを思い起こしましょう。
さあ、この価値あるたった1つの御名を用いて、しっかり祈ろうではありませんか。そして、コロナウイルス感染症がはびこる今、御名によって癒やしが現されることを信じてまいりましょう。
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