ですから、すべて他人をさばく者よ、あなたに弁解の余地はありません。あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。(ローマ人への手紙2章1節)
幼い弟が夜、庭先で空に向かって棒を振り回しています。それを見て兄が「何をしているのか?」と聞くと「空の星を取るのだ」と言うのです。兄は言います。「そこでは届かない。屋根の上に登れ」
確かに庭先と屋根の上では高さに大きな差があります。しかし星から見ればその差などあってないに等しいものです。私たちは他人と比べてあの人より自分の方が正しいと言って自分を正当化しますが、神の目から見た私たちはその目にどう映っているでしょうか。
ジェフリー・ダーマー(Jeffrey Lionel Dahmer、1960〜94)は「ミルウォーキーの怪物」と言われた男です。彼は17人の青少年を殺し、彼のアパートから11の遺体が発見されました。彼は被害者の体をバラバラに切断し、頭蓋骨を冷蔵庫に保管し、心臓を貯蔵し、肉片の一部を食べたことも自供しました。
法廷でのダーマーの写真を見ると、どれも凍りついたような表情をして微動だにせず座っています。自責の念も見られず、後悔している様子も全く見られません。遺族にしてみればそんな彼を何回死刑にしても満足することはないでしょう。アメリカ中の人々はジェフリー・ダーマーの異常な殺人に騒然としましたが、それ以上に人々を驚かせることがその後起こったのです。
彼が獄中でイエス・キリストを救い主と信じたのです。彼は、最後は囚人仲間の1人に殺害されますが、その何カ月か前に信仰を持ち、そして「私は本当にひどいことをしてしまった。自分のしたことを本当に申し訳なく思っている。遺族の方に心から詫びたい」と謝罪しました。そして彼は洗礼を受け、聖書を読み、刑務所内のチャペルに通うようになったのです。
彼は「自分の罪は神の前に赦(ゆる)され、天国への希望を与えられ、今は毎日がとても平安です」と告白しました。ある人々は困惑しました。「あんな殺人鬼を神は救われるはずがない」と公言する人もいました。しかし思い出してください。2千年前イエス・キリストが十字架につけられたとき、同じように十字架刑に処せられた強盗の男がイエスに向かって言ったことを。
「イエス様あなたが御国の位におつきになるときには、私を思い出してください」。イエスはこの強盗に即座に言われました。「誠にあなたに告げます。あなたは今日私と共にパラダイスにいます」
ジェフリー・ダーマーも同じことをしたのです。そして彼も同じ答えをイエスからもらいました。私たちはジェフリー・ダーマーや十字架の強盗と比べて言うでしょう。「神よ、ご覧ください。私は彼らに比べればはるかに良い人間です」。しかしここに問題があります。
神は私たちを彼らと比べたりなさいません。神はご自分の正義と比べて私たちを評価されるのです。そしてその結論は、「義(よ)い人はいない、一人もいない。全ての人が罪を犯している」というものです。しかし自分の罪を悔い改める者に、神は即座の赦しと平安と喜びを与えてくださるのです。
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