1. 新型コロナウイルスの猛威
中国の武漢で突然に発生した新型コロナウイルスの猛威は、世界中を震撼させている。中国からアジアに広がった被害は、ヨーロッパへ、そしてアメリカにも及んでいる。今後どこまで広がっていくか分からない。それまで慎重だったWHOもついに、「パンデミック」を宣言した。
各国で、交通遮断、渡航禁止、興行中止、集会延期、学校閉鎖、工場操業中止・・・そしてキリスト教会はその最も大切な礼拝までも取りやめに追い込まれている。政治も新型コロナウイルス対策一辺倒、経済も株価の極度の下落によりまるで大恐慌の前触れのようだ。
そんな中で私たちはどのように生きるべきなのだろうか。もちろん、集会や人混みを避けたり、マスクをしたり、手を洗ったり、ビタミンCを摂取したりして、自分を守るために万全を尽くすことも必要であろう。しかし、それで守りは十分なのであろうか。
2. 主はあなたを守る方(あなたの避け所)
聖書によれば、天地を造られた主は、あなたを助け、守ってくださる方である。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。(詩篇121篇)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ41:10)
第二次世界大戦中、ウィットルゼイ大佐の率いるイギリス軍の一連隊は、激戦地で5年間も戦って一人の死者も出さなかったという驚異的な事実がある(F・L・ローソン著『人生をいかに考えるか』)。
その秘訣は、その連帯の将校と兵士の全員が、詩篇91篇を暗記して、朝に夕にこれを唱えたからだという。そこにはこう書かれている。
あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。主はあなたを狩人のわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
主は、あなたを守ってくださる方であり、あなたの避け所となってくださる方である。神の言葉は、単なる気休めではなく、霊であり命である(ヨハネ6:63)。すなわち、現実の力である。それでは、実際に、主の避け所に入り、主の守りを体験するにはどうしたらよいのか。ロゴスである神の言葉をレーマとして受けること。言い換えれば、祈りに祈って聖霊に満たされて、神の言葉を神が自分に直接に語られた言葉として受け取ること。こうして神の言葉を疑わないで信じるならば、物事は神の言葉の通りに実現するというのが、信仰の大原則である(マルコ11:23)。
ローマ教皇は、聖職者に対して、「新型コロナウイルスの患者たちに会いに行く勇気を持つように、そして医療従業者やボランティアの働き人たちを励ますように」と指示した。神を(神の言葉を)信じる信仰があれば、神に守られ、神の避け所にいることを信じることができるから、どんな疫病も怖くはないし、それにかかることもない。神は、現実に、あなたを守ってくださり、あなたの避け所となってくださるからである。
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