弁護士としてさまざまな問題に取り組んでいると、いつも心の平安を持つことの大切さを痛感する。適度な不安は、問題の存在を察知し力を尽くしてこれを解決するためには、必要なストレスかもしれない。その場合には、平安はすぐに回復する。
しかし、過度な不安は、平安を回復することが難しく、諸悪の根源であるとも言える。難しい問題の原因の大半は過度な不安から生じている。初めは小さな不安であっても、放置していると、次第に大きくなっていく。不安は、疑い、怒り、恐れ、悲しみなどの否定的な思いの原因になる。こうして、過度な不安は、精神を破壊し、健康を破壊し、家庭を破壊し、社会を破壊していく。
何事もなく穏やかな状態なら、誰でも平安でいることができる。だが、人生において平穏無事という状態はあまりない。いつも何らかの問題が生じ、何らかの問題に悩まされて生きている。緊張や困難の中で心が騒いで右往左往してしまうことも多い。
往々にして、自分が平安を得るために平穏無事な状況を作ろうとするが、これは逆効果である。試験に合格したら平安になれる。貯金がたくさん貯まったら平安になれる。結婚したら平安になれる。裁判に勝ったら平安になれる・・・。それらは長い不安に耐えた結果の一時的な平安にすぎない。すぐに別の問題が起きて不安になる。人生の大半は不安の連続である。
いつも平安を持つ(本当の平安を持つ)とは、状況が悪化し人々が大騒ぎする中でも、ゆるがない平安を持ち続け、平然として問題に対応できる力である。それでは、「いつも平安を持つ秘訣」は何だろうか。平和の神である天の父と、平安の君であるイエス・キリストを心から信じること。言い換えれば、いつも聖霊に満たされて生きることである。聖霊の実は、愛、喜び、平安・・・である。
今や世界中が中国の武漢で発生した新型コロナウイルスのまん延におののいている。世の終末の到来を予想する人々もいる。しかし、キリストを信じる者は、心を騒がせたり、おじけたりはしない。聖霊に満たされているならば、毒を飲んでも決して害を受けないからである。(マルコの福音書16:18)
わたしは平安をあなたがたに残していく。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。(ヨハネの福音書14:27)
◇