あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12:1〜3)
イスラエル聖地旅行の機会にエジプトを訪れたことがあります。幼子モーセが葦の籠に入れられてナイル川に流されましたが、エジプトの王女に拾われました。その拾われた地点に立つというユダヤ教の会堂を訪問しました。川の流れは長い歴史の中で何度も変わっているようで、現在地は川岸から随分離れていました。
その会堂の中で示されたことは、歴史の流れの点と線を結び合わせることで、隠された神様のご計画が見えてくるのではないかということです。
モーセが生まれる頃は、エジプトの宰相であったヨセフの時代より400年ほどたっていて、ユダヤ人への迫害も厳しくなっていました。ユダヤ人の人口が増えるのを恐れたパロは、ユダヤ人の男の子が生まれたら殺すように助産婦に命じます。それでも従わないので、ナイル川に投げて殺すように命令を下します。(出エジプト記1章)
エジプト王パロの理不尽な命令のために、実際に被害に遭った子どももいたでしょうし、嘆き悲しむ家族も少なくなかったと思います。あるレビ族の家庭にも悲劇が訪れようとしていました。男の子が生まれましたが、隠して育てていました。とうとう隠し切れずにナイル川に流しますが、エジプトの王女に拾われ、養子となり、産みの母親が乳母として育てるという奇遇になったのです。すべては神のご計画なのですが、モーセ誕生の裏で多くの幼子の命が犠牲になっています。
エジプトのユダヤ人会堂の周りを歩き回っていると、もう一つの歴史上の事実が示されました。幼子イエスはベツレヘムで誕生しましたが、ヘロデ大王はベツレヘムで生まれた2歳以下の子どもたちを殺すように命令し、「女性たちの泣き叫ぶ声が響いた」と記されています。マリアとヨセフは神様のお告げによってエジプトへ逃れたと聖書のマタイ福音書にあります。イエス誕生の裏で大きな悲劇があったのです。このこともモーセの時と非常に似ています。
マリヤとヨセフが幼子イエスと共に生活したのは、モーセ記念会堂の近辺だったのではないかと言われています。モーセの時代に、この会堂の付近はユダヤ人の集落でした。そして、出エジプトの時に脱出しないでエジプトに残ったユダヤ人もいたのではないかと推測されます。彼らはそのままユダヤ人街を引き継いでいったのではないかと思います。そのおかげでマリアとヨセフの受け入れ先があったわけですから、隠れた神の備えと言ってもいいのではないでしょうか。そして、今日でもユダヤ人街は存続しています。その会堂を訪ねると、3500年前と今の時代がつながるのを体感できるようです。
神様はアブラハムに祝福を約束され、その子孫が祝福されること、またその祝福は地上のすべての部族に行き渡ることを約束されました。この中に大和民族が含まれることは言うまでもありません。
信仰の父と呼ばれたアブラハムは立派な人ではありましたが、完全無欠な人ではありませんでした。弱さも抱えていましたが、信仰により支えられていました。エジプト王の前でも族長アビメレクに対しても、自分の妻を妹と称して保身に走りました。しかし、彼の姑息な手段の中でも主なる神は守り、支えてくださいました。その結果、アビメレクはアブラハムに「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」(創世記21:22)と告げています。たとえ失敗しても、最終的には神が支えてくださるということを周囲が認めていたことになります。
南王国ユダが罪を犯したときには、彼らの先祖ダビデの信仰の故に彼らを赦(ゆる)し、守るということを神は宣言しておられます。また、彼らの父祖アブラハムとの約束により彼らを守るという宣言もあります。
北王国イスラエルも南王国ユダもアブラハムの子孫です。南の2部族だけが救い出され、北の10部族は行方不明となってしまったのは、北の罪が南の罪よりも重かったからだという説明は納得がいきません。憐れみに富む神は必ずアブラハムの子どもたちを捜し出し、回復させてくださるはずだと思うのは間違いでしょうか。
北王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされた後、一部の人々は東を目指し、流浪の旅を続け、最終的には日出る国に到達し、そこに王朝を築こうとしたというストーリーは、今までは妄想の世界だと言われていました。しかし、考古学的発掘や国史の研究などよって単なる夢物語ではないということが証明されてきています。
私の足は神の歩みにつき従い、神の道を守って、それなかった。(ヨブ記23:11)
なぜ、日本神道というのでしょうか。「神の道」という言葉と神道は、偶然の一致なのでしょうか。ある宮司さんが「神道は言葉ではなくかたちで教えを伝えてきたので、いわゆる宗教とはジャンルが違う」というようなことを話されたのを聞いたことがあります。神社のかたちやしきたり、皇室の行事などはユダヤ教のしきたりと共通性があります。
日本では道という言葉にこだわります。精神的に極めていくものにはすべて道がつきます。華道、茶道、柔道、剣道などです。ある仏教の研究家の話によれば、昔は仏教も仏道と呼んでいたといわれます。サビエル渡来のとき、キリスト教に合わせて仏教に変えたといわれます。ユダヤでも道にこだわり、ユダヤ人クリスチャンはキリスト教と呼ばずにヨシュア(イエス)の道という表現をしています。
神様は北王国の10部族を消滅させられたのではなく、東の国々に散らされ、ユダヤ文化を広め、やがて来るべき時に備える隠されたご計画があったとしたらどうでしょうか。AD70年にローマ帝国によってエルサレムは陥落しましたが、2千年後にイスラエルという国家が再建されました。いろいろな人為的な思惑や国家間のあつれきもあったかもしれませんが、アブラハムが目指した約束の場所に国家が再建され、散らされた人々が集められ、失われたヘブル語まで復活し、日常語として使われているのは紛れもない奇跡です。失われた10部族の役割とその子孫たちの使命が明らかになるのも近いのではないかと思います。神は私たちをアブラハムの子として愛し、私たちがどういう状況であっても共にいてくださるという恵みを忘れてはなりません。
※古代日本とユダヤ人との関係に関する本コラムの内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、本紙の見解を代表するものではありません。
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