10代の頃、殺人を犯したとして有罪となり、その後36年間服役していた米メリーランド州の黒人男性3人が11月25日、冤罪(えんざい)だったとして釈放された。男性たちは家族や友人らとの再会を喜ぶとともに、自由の身としてくれた神に感謝をささげた。
「本当に言うべき言葉がありません。神に感謝します。釈放されたことが現実とは思えません」。釈放された一人、アンドリュー・スチュワートさんは、地元テレビ「WBALTV」(英語)の取材にそう語った。
現在52~53歳のスチュワートさん、アルフレッド・チェスナットさん、ランサム・ワトキンスさんの3人は、いずれも当時16歳だった1983年11月18日、デウィット・ダケットさん(当時14)を、同州ボルチモアのハーレムパーク中学校で射殺したとして、終身刑を言い渡されていた。
しかし、ボルチモア巡回裁判所は11月25日、3人全員を冤罪だったとし釈放。同裁判所のチャールズ・J・ピーターズ判事は、「当事者の皆様にとっては、ほとんど意味をなさないことかもしれませんが、刑事司法制度を代表して謝罪します」と述べた。
スチュワートさんの母親メアリーさんも、WBALTVの取材に応じ、息子の釈放を心から神に感謝した。「息子を抱きしめることができたのは、約20年ぶりです。本当にうれしいです。神をたたえます。神はいかなる時も善です。時々ではなく、いつもです」
米ワシントン・ポスト紙(英語)によると、3人のうちの1人、チェスナットさんが裁判のやり直しを強く求め続けたため、今回の釈放にこぎつけたという。
チェスナットさんの訴えは今春、ボルチモア州検事事務所の冤罪調査部門「CIU」に届いた。そして調査の結果、36年前に下された有罪判決は、虚偽の証言と別の被疑者の存在を無視した証拠に基づいて出されたことが判明した。
家族や弁護士、報道陣に囲まれたチェスナットさんは、「これはすごいことです。私は常に、こうなることを夢見ていました。(私の)母はずっと手放しませんでした。息子が帰宅することを」と語った。
チェスナットさんら3人は初め、ボルチモアの「メリーランド刑務所」に12年間収監されたが、その後は別々の刑務所で服役していた。
スチュワートさんは、36年間の服役中に「信仰の重要性と神の大切さ」を受け入れることを学んだと言い、刑務所内では聖書のクラスを開いていたという。しかし、その信仰とは裏腹に、釈放への希望は捨てていた。釈放されなくても、とにかく身を置かれた場で神を賛美し続けようと心に決めていたという。
「ここ(刑務所)が、神が私に人生を過ごさせたいと望む場所であるなら、私は生涯ここでイエス・キリストに仕えよう」。スチュワートさんは、ある日の聖書クラスで、自分にそう言い聞かせていた。
しかし今年5月、ボルチモアのマリリン・モスビー州検事がテレビでCIUについて話しているのを見たチェスナットさんが、州検事事務所に手紙を書くことを思いついた。
チェスナットさんは、昨年明らかになった新しい証拠を手紙に同封した。その証拠とは、警察が実際に銃を撃ったと見ていたのは、チェスナットさんら3人ではなく、マイケル・ウィリス(当時18)という男だったことを示すものだった。CIUは早速、当時の証言者から再び話を聞くなどして調査を行った。
CIUの責任者ローレン・リップスコム氏はワシントン・ポスト紙に対し、「2人が電話で、銃を撃ったのはマイケル・ウィリスだと言ってきました」と語った。同紙によると、目撃者の一人である生徒は当時、銃を撃った犯人として容疑者リストの中からウィリス容疑者の写真を選んだという。また別の生徒も、ウィリス容疑者が事件現場のハーレムパーク中学校から駆け出してきて拳銃を捨てたのを見たと証言していた。しかし、これらの報告は弁護側には伝えられていなかった。「こんなでっち上げをすることは許されません。とんでもないことです」と、リップスコム氏は同紙に語った。
被害者のダケットさんは、当時人気だったジョージタウン大学バスケットボール部のジャケットを着ていたため、その強奪目的で殺害されたとされている。罪を着せられた3人は当時、高校の授業をサボって、かつて通っていたハーレムパーク中学校の教員らの元を訪れていた。教員らの話では、3人は「ふざけた」生徒ではあったが、乱暴者ではなかったという。同校の警備員も、3人はダケットさんが殺害される約30分前に学校を去っていたと話している。
警察は当時、捜査中にチェスナットさんの寝室でジョージタウン大学バスケットボール部のジャケットを発見していた。しかし、そのジャケットには血液や発砲の痕跡はなく、チェスナットさんの母親はジャケットを購入した際のレシートも持っていた。さらに店の従業員も、チェスナットさんの母親がジャケットを購入したと証言したという。
この事件を担当したドナルド・キンケイド主任刑事は、3人の釈放に驚きを示しつつも、同紙に対し、警察の捜査に不適切な点は一切なかったと語った。
「それ(3人の釈放)が何になるのでしょうか。皆さんは、私が3人の青年を刑務所に送り、生涯をそこで過ごさせようとしたかったと考えるでしょう。(しかし)私は彼らを知りませんでした。面識さえ、ありませんでした。どうして、そんなことをするでしょうか」
3人がモスビー州検事から釈放の可能性を知らされたのは、釈放前日の11月24日だった。
チェスナットさんは当時を振り返り、「私としては、何年間も同じことを言い続けてきたように感じています。しかしついに、一人の人が私の叫びを聞いてくれました。神様とマリリン・モスビーさんに感謝します。彼女は私の代わりに友達のために苦労してくれました」と語った。またスチュワートさんは、「私は泣き崩れました。赤ちゃんのように泣いたのです」と語った。