今まで出会った《霊的》と自負している方々の中には、祈りと主との交わりと、霊的成長のために、すべての時間を用いることを宣言して、仕事(生業)を辞めてしまう人が多数いました。
彼らは、周りの兄弟姉妹の善意や好意を利用して生活をすることになります。関係者に大きな負担と犠牲をかけながらも、「自分自身は《霊的》なので、世の中の仕事に従事することは《肉的》である」というような考えを持ち、行動をするのです。彼らは《献身》の意味を勘違いしているのです。その結果、周りの方々から徐々に敬遠され、彼らは破綻していきました。
聖書は、このような生き方を認めてはいません。私たちクリスチャンは全員、祈りと主との交わりと、霊的成長をするために召されています。それと同時に、仕事に就いてシッカリと働いて、経済的必要を満たし、隣人をも祝福していくことを求められているのです。伝道を考えるとき、仕事をとおして社会とつながっていることはとても重要なことですし、社会で人々と交わる中で信仰が試され、信仰を働かすことができ、霊的に成長することができるのです。
《献身》をしてフルタイムのミニスターとして教会で仕事をしていくということは、世の中で行われているどの仕事よりもハードな仕事であること、そして壮大で重要な仕事に従事するのだということを認識していただきたいのです。多岐にわたる能力と知識が必要です。集中力と忍耐力、プレゼンテーション能力、コミュニケーション能力、プロデュース能力、交渉力などの能力を求められ、日々それらの能力を高める努力をしていかなくてはならないのです。一般の企業などで求められるよりも高い基準で考える必要があります。つまり、社会の中のさまざまな仕事に従事する以上の働きを求められるのです。
なぜならば、フルタイムのミニスターは、所属する教会の人的ならびに経済的な成長拡大に貢献することによって、その教会が受けた祝福の中から、経済的な報酬を受け取ることになるからです。一般企業では、会社の成長拡大に貢献できない社員は、研修プログラムでトレーニングを受け、能力を高めて現場に戻るか、或いは解雇されるか、ということになります。献身したフルタイムのミニスターが、主から解雇されることはありません。ですからなおさらのこと、強い責任感を持って、主が与えてくださったミッションとヴィジョンを全うするため、日々徹底的に努力をしていかなくてはならないのです。
我々の宣教地は現実社会のただ中にあります。社会に素晴らしい影響を与えるクリスチャンと教会でありたいと心より願います。
ハレルヤ!!
盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。(エペソ人への手紙4章28節)
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