さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(ヘブル4:14~16)
社会では、コミュニケーション不足や無理解が問題になる昨今ですが、信仰のことを思うとき、イエス様は私たちのすべてをご存じであるという事実は、本当に感謝なことです。ダビデは、「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」(詩篇139:1)と、告白しています。イエス様は私たちの弱さ、汚さ、醜さをすべて分かった上で、私たちを救うために十字架にかかって死なれ、私たちと結びついてくださったことを心から感謝したいと思います。4つのポイントを確認しておきましょう。
1. 主は私たちのすべてをご存じである
大祭司という立場の人は、神の掟やみことばを人々に伝え、人々の罪のとりなしの祈りをささげる、神とイスラエルの民を仲介する役割を持つ人のことでした。私たちを救う、本物の大祭司であるイエス様が共におられることを感謝します。
私たちは、家族や親しい友人にさえ心を打ち明けられないことがあります。しかし、イエス様は今あなたの心の中にある思いをすべてご存じで、罪深い私に寄り添ってくださるお方です。ですから、イエス様に自分の弱さを思い切り告白して、頼ることが必要です。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタイ11:28)と、主はおっしゃいました。主が私たちのすべてを知り、愛してくださるから感謝です。
2. 主は私たちの代わりに死なれた
キリストは、僕(しもべ)の姿をとり、私たちの代わりに苦しめられ、私たちの罪を背負って罪人となられ、死ぬことまでしてくださいました。私たちの人生に、キリスト・イエスは、ご自分の命を重ねてくださったのです。身代わりとなることで、私たちを生かしてくださった主に感謝します。
3. 大胆に恵みの中に飛び込もう
キリストは、死ぬことまでして私たちを救う道を開いてくださったのです。私たちは、イエス様のもとで重荷をおろして、大胆にイエス様の臨在の中に飛び込もうではありませんか。パウロは言います。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)。イエス様によって罪をきよめられ神の子とせられ、あなたの力による世界ではなく、イエス様によって新しい命を着せていただいて、新しい人生を歩みましょう。
4. 信仰を告白しよう
「イエス様こそ、私の主です。イエス様が、私の罪のために十字架にかかって死んでくださいました。イエス様によって、永遠の命につながる救いを頂きました。私はあなたを信じるクリスチャンです」と、信仰の告白を固く保って、イエス様と共に歩むクリスチャンでありたいと思います。
イエス様が私たちと共におられるので、私たちと神様のコミュニケーション不足はあり得ません。この11月、もう一度信仰告白をして、クリスチャンとしての命を頂いて前進してまいりましょう。
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