イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家に入られた。ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。(マルコ1:29~31)
クリスチャンである私たちは、イエス様が共におられて御業が現れるということを、もう一度思い起こしましょう。今日は、イエス様がどのようなお方なのか、聖書を通して学んでいきましょう。
1. 主は自ら近づいてくださるお方
今日読んだ箇所は、救い主イエスとしての働きを始められた直後の出来事です。イエス様は、ペテロの義理の母が熱病で苦しんでいると聞き、彼女に近寄ってくださいました。これって、素晴らしいことだと思いませんか? 天地宇宙の創造主である偉大な神の現れであるイエス様が、私たちのところへ、ぐいっと近づいてくださるのです。苦しむ私たちを見捨てず、近づいてくださるイエス様に感謝します。
2. 主は触れてくださるお方
そして、イエス様は彼女に単に近づかれただけでなく、実際に触れて、引き起こしてくださったのです。イエス様の力で、ペテロの義理の母は引き起こされたのでした。単に近づくことと、実際に触れることは違います。触れるときに、そのものの体温、命の力が伝わってきます。主は、私たちを助けるために働いてくださることを感謝します。
3. 主は生きざまを変えてくださるお方
イエス様に触れられてペテロの義理の母は熱がひき、イエス様を喜んでもてなしました。具体的な癒やしの業が起こることで、単に私たちの病気の症状が消えるだけでなく、その人の生活や人生まで変えられるのです。私たちも、イエス様に触れていただくときに、病気の症状が取り去られ、さらにイエス様を証しする人生へと変えられることを喜びましょう。
今回インドで孤児院の子どもたちを集めての集会をした際、子どもたちを預かって世話をしてくれている教会の先生と、少しの間お話をしました。その人は、らい病であったのに、私たちの伝道集会時に癒やされ、クリスチャンとなって今は牧師をされている方です。笑顔で手を差し出してくださり、握手をしたその指先は溶けていて、短くなっています。
私たちからの献品である衣服を孤児院の子どもたちに分けた後、その先生に「教会の貧しい人たちにもプレゼントしてください」と、衣服をお渡ししました。「村のみんなも喜ぶと思います!」と、にこにこ笑いながら帰っていかれました。貧しい村で、村人や子どもたちを守る牧師として喜びながら仕えているその姿を見て、イエス様と出会うことの素晴らしさを感じました。
イエス様によって癒やされると、人生は変わります。同じイエス様が、私たちのためにも働いてくださいます。私たちも今日ここで、イエス様を求めて祈ってまいりましょう。
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