悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。(ルカ6:43~45)
この夏、私たちが本当に幸せな歩みをするために、「主よ、私が悪い物を引き寄せないよう私を整えてください、私が本当に良い恵みを生み出す者となれますように」と祈り、イエスにきよめていただきましょう。
兄弟姉妹、私たちが気を付けたいのは、自分の人生に「悪い実」、良くない結果や悪い人間関係、不幸な物語ばかりが、もしたくさん起こっているなら、人を責める前に、自分の人生の生き方や心、魂の状態を正しく見つめて、整え直す必要があります。日本にも「類は友を呼ぶ」ということわざがあります。そういうことを念頭に置いて、今日の聖書箇所から4つのことを確認したいと思います。
1. 神の鏡に自分を映し出す
良い木でありたいと思いながら、悪い実ばかりがなっているなら、木そのものを疑ってみなくてはなりません。自分の生み出している「実」、私たちの周囲に生み出されているさまざまな結果がどのようなものであるか、また、どんな人と自然と関係を持っているのか、何を引き寄せているのか、今、神の鏡に自分を映し出して自分の人生のありさまを確認しましょう。
自分のことはよく分からないものです。ですから自分が、どんな「実」を実らせているか、どんな人を引き寄せて「人間関係」が出来ているかについて、注意深く見ることが大切です。
2. 良い物を選ぶ
あなたの人生の中に祝福を求めるのであれば、「主よ、私が頂く命は、本当に豊かに実を結ぶぶどうであらせてください。大きな祝福、大きな恵みを生み出すために、私そのものが命にあふれた、良い木になることができますように!」とあなたが、はっきりと求めている物を祈り願うことです。決して悪い物を選ぶことのないように、祈り吟味して良い物を選んでいきましょう。
神の求められる「愛の実」「励ましの実」「分け与える実」「希望の実」、そのような良き物を生み出す「良い木」になることができますように、そういう「命」を選び取りたいです!と神の前に祈ってまいりましょう。
3. 生活を整える
私たちの「心の倉」から「良い物」を取り出す生き方を心掛けましょう。特に私たちの持っている「実」が顕著に現れるのは、私たちの「口の言葉」です。私たちの「口の言葉」を通して人を励まし、愛し、喜びを伝え、安心させる、そんな「恵みの言葉」を語ろうではありませんか!
4. 良い習慣を人生にする
「良い物」を取り出し、「良い実」を結ぶ命の流れ、習慣が、私たちの人生となりますように。習慣化され継続することができるように生き方を整えていきたいと思います。自分がどんな種類のどんな質の「命」を持っているかを、問い直す者でありたいと思います。
私たちは神の御力によって取り扱いを受けなければならない弱い存在ではあります。けれど信仰を持って歩ませていただく中で、私たちはクリスチャンとしての決断も意識してまいりましょう。神の御心に適う良い物を意識して選び取ってまいりましょう!
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