ニューヨークのマンハッタンから北に車を2時間ほど走らせた所に無農薬野菜を育てている小さな農園がある。運営しているのは、ジャーミー・ドーキングズさんと妻の幸子(ゆきこ)さん。2人ともクリスチャンで、夏には毎週1回、マンハッタンのミッドタウンにあるタイムズスクエア教会(TSC)まで野菜を運び売っている。その収益はすべて、TSCが運営する世界の貧しい子どもたちを支援する「チャイルドクライ」というプログラムに寄付している。夏の収穫が終わり、一息ついたであろう10月初め、農園を運営する2人にお話を聞いた。
ジャーミーさんの本業は、コンサルティング会社のクリエーティブディレクター。農作業は週末だけで、日本で言えば、いわゆる「兼業農家」だ。農園の名称は「3つの切り株農園」を意味する「Three Stump Farm(スリー・スタンプ・ファーム)」。
由来を聞くと「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれた」(1コリント1:27)の聖句を挙げ、「自分と妻と娘の3人の『愚か者たち』が神様に用いられてやっているからです」と説明してくれた。Stump には、「切り株」という意味のほか、使い物にならない残り物というような意味がある。
ジャーミーさんは英国人宣教師の子として生まれ育ったが、本当の意味でキリストに人生をささげる決意をしたのは10年ほど前のこと。当時、ニューヨークの広告会社を率いる立場にあったジャーミーさんに、オフィスの清掃スタッフがある時、「あなたは人生をイエス様にささげないといけない」と説教してきたのだそうだ。
その清掃スタッフは、ジャーミーさんにTSCに行くよう勧めた。言われるままにTSCに行ってみると、そこには、日曜日に教会に行くだけの形式的な信仰ではない、生きた信仰があった。
TSCに通い始めてからは、海外へ宣教に行ったり、子ども用プログラムで奉仕したりと、教会活動にいそしむようになった。しかし、幸子さんはその時はまだ「自分は、娘が大きくなって家を出てからクリスチャンになるわ。今はそんな暇はないの」と言い張っていたそうだ。
そんな時に幸子さんがステージ4(末期)の大腸がんと診断される。2年前のことだった。がんが発見されたときにはすでに肝臓にも移転しており、発見1週間後に即手術と言われた。2人は当時、新しい家を購入したばかりで、それまで住んでいた家の引き払いと引っ越しの予定がすでに入っていた。
手術、退院、引っ越しが立て続けに重なった。幸子さんは何もすることができなかったが、そこに思わぬ助けの手があった。一人娘の心美(ここみ)ちゃんが通うクリスチャンの学校の関係者が、トラックを出して総出で引っ越しを手伝ってくれたのだ。
学校に通う女の子たちが大勢来て家の窓を一枚ずつきれいに拭いてくれたり、静養中の幸子さんのために、病人用のベッドまで持ってきてくれたりしたという。突然の病に遭遇しながらもクリスチャンの温かさに触れた。
そして、これも神様の不思議な計らいか、幸子さんたちが引っ越したのは「ブルダホフ」というドイツ系のクリスチャンが多く住む地域だった。ブルダホフの人たちは、1世紀ほど前からアーミッシュやメノナイトのように自給自足の生活を営み、共同生活体を形成している。特に第2次世界大戦でナチスの迫害に遭ってから大きく増えたという。心美ちゃんが通う学校も、このブルダホフの人たちが運営するものだった。
幸子さんの暮らしの中に、どんどんクリスチャンが送り込まれてくる中、心美ちゃんが通う日本語補習校で、クリスチャンだという一人の母親と知り合いになった。彼女はイエス・キリストを日本語で幸子さんに伝えるために、数時間車を運転して幸子さんの家に来てくれた。
「自分は夫のように、子どもの時から教会に行っていたわけでも、聖書を読んだわけでもないので、クリスチャンにはまだなれない」と言う幸子さんに、その女性は「聖書は後で読めばいい。イエス様を信じるために、別に何もしなくてもいいのよ。『ただイエス様がいる』ということを信じるだけでいいのよ」と話してくれたという。
今まで「『~しない』とクリスチャンになれない」と思っていた幸子さんは「ただ信じればいいって、そんな簡単なことなの? じゃあ、今すぐここでもクリスチャンになれるの?」と聞いた。その女性は「なれるよ」と言い、「それなら信じる」と応じた幸子さんを信仰告白に導いた。
そして祈りを終えた幸子さんに「今日からあなたはクリスチャンですよ」と言った。その途端、すべてのものが明るく見えたという。心美ちゃんを迎えに学校へ行くときも、風景が違って見え、イエス様が両腕を広げ、緑の中で遊ぶ子どもたちを包み込むようにして、愛を注いでいる姿を見たような気がした。こうして幸子さんも、ジャーミーさんと一緒に教会に通うようになった。
ある時、自分が受け入れたイエス・キリストへの信仰を、日本人の友人に分かち合った。しかしその友人の口からは「あなたは不幸だったから宗教に走ったんだろうけど、自分はそこまで落ちていない」という言葉が返ってきた。「残念だった」と幸子さんは言う。頑張り屋で、自分の夢や目標のために人一倍努力する日本人はたくさんいる。幸子さんもかつてはその一人だった。
「自分が一生懸命頑張れば何とか生きていける」「頑張れば自分で何でもできる」。そんな日本人にとって、「ただ信じる」「ただ委ねる」ということがどんなに難しいか、痛いほど分かる。しかし一人でも多くの人に、苦しい道を通らずにでも、ただ与えてくださる神様の愛と恵みを知ってほしい。それが幸子さんの願いだ。
幸子さんは手術後の回復のために、特に健康に良いものを食べる必要があった。また、世界約20カ国の貧しい子どもたち4千人余りに食べ物を届けている「チャイルドクライ」の活動を、少しでも支援したいという思いもあった。そうした中、家と共に購入した8エーカー(約9800坪)の土地で無農薬野菜を作り、その収益を寄付することを思い付いた。
アイデアは浮かんだものの、2人には農業の経験などまったくない。しかし、ブルダホフの人たちにこのアイデアを伝えると、快くビニールハウスを建ててくれたり、水やり用のテープを畑に取り付けてくれたり、さまざまな手助けをしてくれた。
「土が粘土質で野菜が育ちにくい」と相談すると、無農薬の土を無料でたくさん分けてくれた。「教会で野菜を売るなら」と、ブルダホフの子どもたちも、コミュニティーの学校で作った無農薬野菜や果物をたくさん分けてくれた。TSCもインターンを送ってくれ、トラックで野菜をマンハッタンに運ぶのを毎週手伝ってくれた。
何の見返りもなしに、時間や物、労力をただささげ、ただ与え、ただ奉仕する精神を持った人たちに囲まれて、幸子さんも自身をささげ、人にそして神に仕える者へと変えられていった。そしてその中で、がんに侵されていた自身の体も、また心も癒やされていった。現在、定期検査は受けているが、体重は手術前と同じに戻り、以前よりも体力があるという。
ジャーミーさんの家系は、両親だけでなく、祖父母や親戚も宣教師や牧師として神と人に人生をささげてきた人たちばかり。「これまで自分は、いつもその外にいたような気がしました。でも今は、自分が本当にこの家族の一員になれたと実感し、誇りに感じています」と幸子さんは言う。
今年の春はTSCの女性教会員たちが種植えを、また夏にはTSCが運営する聖書学校の卒業生がインターンとして住み込みで手伝ってくれた。インターンとして住み込みで手伝ってくれたモンゴル人のチョカさんは、「ファーミング(農業)の経験がある」と、TSCスタッフのお墨付きで送られてきた。
しかし「草むしりをして」と幸子さんがお願いすると、「どれが野菜の芽でどれが雑草か分からない」という返事が。聞いてみると、農業の経験があるというのは「アニマル・ファーミング(畜産)」の経験だったのだ。
そのため、幸子さんはチョカさんにすべてを一から教え、毎朝5時半から一緒に畑仕事にいそしんだ。おかげで今年の収穫は昨年の10倍。それまで野菜をマンハッタンに運ぶために使っていたトラックには入り切らなくなるという、うれしい問題も生じたそうだ。
この農園が今後どんな発展を遂げていくのかは分からない、と2人は言う。「ただこうして奉仕できることが幸せで、ひたすら主に用いられたいです」。来年はシイタケの栽培にも挑戦したいと考えている。
スリー・スタンプ・ファームの野菜を買ってくれるお客には、日本人も多いのだそうだ。TSCのすぐ近くに日本の銀行があり、TSCの日本人会員がそこに勤務していたこともあって口コミで日本人駐在員家族の間に広がったという。今年の夏には、他の日本人教会員の助けも借りて、おにぎりやたこ焼きなどを作って販売した。
野菜を育てる本人たちの健康、野菜を買って食べる人たちの健康、自然に触れることによる心と体の癒やし、奉仕の精神を学べること、そしてチャイルドクライに収益を寄付できることなど、この農業生活は「一石三鳥でも四鳥でもある」と話す幸子さん。
教会のさまざまな人たちの交流と奉仕、そして愛で育まれたこれらの野菜が、観光や仕事でニューヨークを訪れる世界中の人たち、そして野菜を買いに来る多くの日本人たちにとって、キリストの愛のメッセージに心を開くきっかけとなることを願わずにはいられない。来年の夏、神様が彼らの野菜を通して、どう働かれるかが楽しみである。