出張先の京都で先月12日、急性心不全のため急逝した万座温泉日進舘(群馬県)会長の泉堅(本名・黒岩堅一)さんの「お別れの会」が10日、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(東京都新宿区)で開催された。この日は、生きていればちょうど70歳になった泉さんの誕生日。日進舘の会長として、また歌手として活躍し、神の愛を伝え続けてきた泉さんを慕う多くの人が参加し、泉さんと「天国での再会」を約束した。
泉さんは「日進舘は旅館ではなく命の宮、すなわち教会」と語るほど伝道に熱心で、日進舘では毎週チャペルタイムを開き、全国から牧師やクリスチャンアーティストを招いて宿泊客に福音を伝え続けてきた。お別れの会は、何度も共演してきたというユーオーディアの演奏で始まり、泉さんと35年余りにわたり家族ぐるみの付き合いをしてきた神田英輔牧師(「声なき者の友の輪」代表)が、聖書からメッセージを伝えた。
神田牧師は「温泉は癒やしません。癒やすのはこの温泉を作った神様です」と、泉さんが口癖のように語っていたと振り返る。泉さんは学生時代、激痛を伴う線維筋痛症を発症。自殺を考えるほどだったが、友人の紹介でイエス・キリストを知った。そして「イエス様が本物なら、私を癒やしてください」と懸命に祈った結果、半年で完全に癒やされる体験をした。それが泉さんにとって大きな転機となり、その後は「キリスト大好き人間」になったという。
「いつかなくなるものではなく、絶対になくならないものを万座温泉で伝えたい」。これが泉さんの願いだった。そして、イエス・キリストの愛こそが永遠であり、人生で一番大切なものだと確信し、69歳で天に召されるまで、その愛を伝え、また自らも実践し続けてきた。メッセージの最後には、「愛の章」と呼ばれる新約聖書のコリントの信徒への手紙13章から泉さんが作曲した「愛」も流された。
メッセージ後の祈りでは「黒岩堅一兄弟の死を通して、私たちにもう一度生きることと、死ぬことをしっかりと見つめ直させてください」と神田牧師。「黒岩堅一兄弟は、ささげ尽くした生涯、愛し続けた生涯、赦(ゆる)し続けた生涯、イエス・キリストに倣いたいと願い続けた生涯でした。私たちにも同じ願いをお与えくださり、残されたこの地上での時を有意義に過ごさせてください」と述べた。
その後、泉さんと親しかった4人が「お別れの言葉」を述べた。
ユーオーディア代表の柳瀬洋さんはこれまで、さまざまな場面で泉さんと共演してきており、「(ユーオーディアと泉さんでは)音楽のジャンルは違いますが、賛美については、まったく一つになって賛美をさせていただきました」とコメント。「泉さんが福音を伝えることに命懸けであったように、私たちもその後に従い、音楽を通して主に仕えていきたいと決意を新たにしています」と述べ、他のメンバーと共に泉さん作詞・作曲の「夢のように花のように」を演奏した。
劇団ハートフルハンド主宰で女優の山辺ユリコさんは、泉さんと共にラジオ出演した際のエピソードなどを、泉さんに直接話し掛けるように語った。日進舘の社員を代表して語った畔田(あぜた)里美さんは、秘書として泉さんに長年仕えてきた。「今は天で、栄光に輝く神様の御前で賛美していることでしょう」「また会う日まで、しばしのお別れです。天での再会を楽しみにしています」と別れの言葉を送った。
最後に語ったのは、学生時代、泉さんにイエス・キリストを紹介した友人の大野克美さん。泉さんとは50年以上の付き合いで、友人としてだけではなく、共同経営者として日進舘を共に支えてきた。何をするにも2人でよく祈って物事を進めてきたと振り返る。
またその中で、泉さんと結婚し日進舘の女将となった麻利子さんとのエピソードも紹介した。旅館では女将の存在が重要だったこともあり、泉さんはよく、良き伴侶が与えられるよう祈っていたという。そんな中、宿泊客として来た麻利子さんを目にすると、初対面にもかかわらず泉さんが「私と結婚してください」と申し込んだのだ。麻利子さんは「ここは宿泊するとプロポーズ付きなの?」と驚いた様子だったが、「これはやはり、神様の働き掛けだったのですね」と大野さん。その後2人は結ばれ、麻利子さんが女将となったことで日進舘も大きく成長することができたという。
4人が思い出を語った後、泉さんの子どもたち3人が、父への思いを込めて作った曲「ホーム」を披露。次男の条二さんが作詞・作曲した歌で、長男の一将さんがギター、長女の麻一美(まいみ)さんがピアノを演奏し、条二さんが歌った。そして麻利子さんがあいさつに立ち、最後には福音歌手・森祐理さんがリードして参加者全員で「今日の日はさようなら」を天国にいる泉さんに送り届けた。