フィリピンの首都マニラから東に車で小一時間ほど行ったところに、アンティポロという丘があります。丘のふもとにタイタイという町があって、そこに私ども夫婦が奉職していましたアジア・パシフィック・ナザレン神学大学院、英語では Asia-Pacific Nazarene Theological Seminary(以下「神学校」または「マニラの神学校」と呼ぶ)があります。
約12ヘクタールの広さのキャンパスの真ん中を小川が蛇行していて、川の両側が急な傾斜地になっています。全体はマンゴーやスターアップルのような熱帯の樹木で覆われていて、校舎やチャペル、また食堂や学生寮、そして教師たちの宿舎が点在しています。そこに200人くらいの学生、教師、そして彼らの子どもたちが大家族のように生活をしています。一番低い地点から高い所までは約110段の階段があり、みな毎日上り降りして生活しています。
私どもはこの神学校に最初はそれぞれ教授、助教授として、後には学長夫妻として6年間奉職しました。以前からの嘱託講師時代を含めると私自身は合計15年間この学校と関わってきました。初めてこのキャンパスを訪れたのは1992年5月で、夏季集中講義をするために高知から出講していきました。
ゲストハウスに滞在し、毎朝その宿舎から教室まで向かう途中、私の目にさわやかな印象を与えたのは、朝日の中で輝いているブーゲンビリアの花びらでした。当時はまだその花の名前すら知らず、ただそのピンク色の花びらが何とも言えない南国情緒をかもし出していて、見るたびにすがすがしい気持ちになったものです。
教室ではさまざまな国から集まっている学生たちを相手に講義をしました。学生たちは非常に勉学意欲が高く、多文化・多言語の若者たちの集まりですから、異なる意見が縦横無尽に飛び交います。真剣さの中にも和気あいあいとした雰囲気が漂い、彼らから数々の貴重な価値観、生活習慣を学びました。日々新鮮さの連続であったとも言えるでしょう。
この連載ではこれら学生たちとの関わりの中から、またかの地での多種多様な生活体験から私自身が体得したことを分かち合いたいと考えています。そこに滞在している間に、妻は色とりどりのブーゲンビリアの花をキャンパスの至る所に植えていきました。今ごろはそれらの花びらが朝日の中で輝いていることでしょう。
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