米連邦最高裁判事の1人で、1988年にロナルド・レーガン大統領(当時)の指名を受けて就任したアンソニー・ケネディ判事が、7月末で引退することを表明した。勤続30年の大ベテランにして、保革どちらにもくみしないいわゆる「中間派」の判事として米司法界をけん引したケネディ判事。彼の引退は、単に1人の判事が辞めるにとどまらない影響を与えることになる。さまざまな憶測が飛び交い、今後の米国の行く末を占う声がささやかれ始めている。
前回の寄稿で分析したように「移民規制」に対する司法の方向性が示されてからわずか数日、振り子はさらに保守化へ向かうのか、それともバランスを取るべく均衡を目指すのか。今回はケネディ判事就任時の様子を詳述するとともに、共和党に代表される米国の「保守派」が何を目指そうとしているのか、について考えてみたい。それはすなわち現政権と親和性の強い一部の「福音派系宗教集団」(彼らを「福音派」とひとくくりにしてしまうのに筆者は大いに抵抗がある)の在り方をも方向づけることになると思われる。
まず基本的なことを押さえておこう。米国のみならず外国のことを語る場合、その国の政治機構についての基礎知識は必須となる。どうしても私たちは日本との類似性で他国を見てしまう傾向があるからである。特に米国の場合、裁判所は日本よりも政治的な色合いが濃く、統治機構の1つと位置付けられている。そのため、連邦裁判所にせよ州裁判所にせよ、その選出方法のほとんどは選挙形式である。そして判事のパーソナリティーが判決に反映することが当然と見なされている。もちろん判事は「法に則って」「公平に」判決を下そうとするが、そこに個々人の世界観(特に宗教観)が反映されないとは決していいきれない。
米連邦最高裁の判事は9人。そして一度就任するなら、終身職である。大統領は最長8年間しか影響力を行使できない。最高裁判事の指名権は大統領が持っており、連邦議会の上院で承認される。こうしたややこしい手続きを踏むのは、米国特有の「三権分立」の原則に沿ってのこと。しかし一度任命され承認されたなら、最高裁判事は任命者(大統領)よりも承認者(上院議員)よりも長く、自身の「色=イデオロギー」を米国に残すことができる立場を手に入れる。だから就任に際してさまざまなドラマが展開することになる。
このほど引退を表明したケネディ判事の場合、30年前まさにドラマチックな波乱の展開を経ての任命となっている。
1987年6月、ルイス・パウエル判事が引退を表明した。翌年に大統領選挙があり、もしも民主党が政権を奪うことになり、その後に自分が辞めるなら、きっと革新的な判事が未来の大統領によって任命されるだろう。そうならない前に、レーガン大統領の手で保守的な判事にバトンタッチすべきだとパウエル判事は考えたのではないか、というのが大方の見方であった。
いずれにせよ、レーガン大統領は保守的な判事を任命すべく、人選に当たった。そして大統領が白羽の矢を立てたのは、保守系判事として有名なロバート・ボーク氏であった。しかしこれに猛烈な反対を表明したのが民主党多数で運営されていた上院議会である。1987年当時、レーガン政権は上下院とも民主党が多数派の状態であった。結果、レーガン大統領はボーグ氏を指名したものの、上院議会で否決されるという事態を引き起こしてしまったのである。しかし波乱はなお続いた。
ボーグ氏の後にレーガン大統領が指名したのは、ダグラス・ギンズバーグ氏。同じく保守派の判事である。ところがギンズバーグ氏の名が挙がった途端、メディアに過去のスキャンダル(ロースクール時代にマリファナを吸っていた)をすっぱ抜かれ、上院議会での反対に遭い、彼も任命できない状態になってしまう。そして3人目の候補者として無事に就任したのが、アンソニー・ケネディ氏だった。
ここに至って、共和党と民主党の間に微妙な政治的駆け引きが機能した。さすがに大統領が指名しようとする候補者を2人続けて否決した民主党議員たちは、3人目のケネディ氏の審査には多少緩やかな姿勢で臨んだことは想像に難くない。一方、共和党側(レーガン政権)にとっても、今度は承認してもらいたい。その結果両者のバランス感覚がいわゆる「中間派」と呼ばれる新判事を生み出すことになったのであった。
そのケネディ氏が30年の時を経て引退を表明したのである。
次回、どうしてケネディ氏がこの時期に引退を表明したのか。また保守系判事が増えることで、共和党およびそれにくみする福音派系宗教集団が一体何を目指そうとしているか、について考えてみたいと思う。(続く)
<参考文献>
阿川尚之著『憲法で読むアメリカ史 下』(PHP研究所、2004年)
阿川尚之著「憲法で読むアメリカ現代史』(NTT出版、2017年)
西山隆行著『アメリカ政治講義』(筑摩書房、2018年)
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