東京都小金井市の「詩喜の家」で1日から「不登校だった猫」展が開催されている。展示されているのは、水彩画や川原の丸い石に描かれたかわいい猫たち。小学3年から不登校となり、絵を描くことでそれを乗り越えた渥美(あつみ)優さん(アッセンブリー浜松キリスト教会会員)の作品だ。石の裏には「いつも喜んでいなさい」「すべてのことを感謝しなさい」と聖書の言葉が書かれている。渥美さんは「不登校の方や引きこもりの方、そしてご家族の方に、神様が『そのままのあなたで大丈夫』と私に伝えてくださったように、『それでも大丈夫』『そのままで大丈夫』というメッセージを伝えられたら」と話している。
渥美さんが不登校になったのは小学3年の冬。肺炎で入院し、体は治ったものの、どうしても学校に行けなくなってしまった。当時は「不登校」という言葉も一般的ではなく、両親はまったく理解できない様子で、その時は自分自身も理由が分からなかった。
渥美さんは、母が渥美さんの生まれる少し前にクリスチャンとなり、母、兄、妹と4人で毎週教会に行くのが当たり前という環境で育った。小さい頃は、日曜学校で教わったことをぼんやり信じているという感じだったという。学校に行けなくなってからは、つらくなる度に祈ったが、生きていること自体がつらく、何度も死にたいと思った。
そうした中、小学4年のある日、涙ながらに祈り、泣きながら聖書を開いた。それまで何度も聖書を読もうとしても、難しく感じて挫折したが、その時は聖書の言葉が流れるように入ってきた。はっきりとすべてを理解できたわけではないが、「自分が求めているものはこれだ」と確信したという。そして1つの聖句が目に留まった。
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)
「『もはや私が生きているのではなく』という言葉が衝撃的で、『私が生きていなくてもいいんだ』と、心がスーっと軽くなったのを覚えています。そして『私は今イエス様と共に死にました。これからはあなたを信じる信仰によって、ただ私を生かしてください」とお祈りしました。この時に自分は死んだのだと思い、イエス様が与えてくださったいのちで生かされていることに喜びを感じました」
中学生になっても学校に通えない日々が続いたが、捨て猫を拾い育てていた渥見さんにとって、いつしか友達のように大切な存在になった猫たちをスケッチすることが心の慰めになっていった。そんな渥見さんに1つの転機が訪れる。世話になっていた不登校生担当の先生に、お礼を伝えようと手書きの年賀状を送ったところ、その生き生きとした猫のイラストを見て展覧会の開催を提案してくれたのだ。
2001年に浜松市の公民館で「それでも僕らは生きている!」をテーマにしたイラスト展を開催。中学校の友達や先生も来場し、多くの励ましの言葉をもらった。さらに母の知人の提案で福井県でも展覧会を開いた。当時、渥見さんは14歳。不登校であることを隠さずに中学生が展覧会を開くというのは非常に珍しく、同じ悩みを持つ子どもや親たちが多く詰め掛け、大きな反響があった。
福井県での展覧会は会場が教会で、そこでの出会いがきっかけとなり、渥美さんの父もその後クリスチャンとなる。そして、家族で静岡県内の天竜川の支流のほとりにログハウスを建て、自然の中で暮らすことに。川の流れの中でぶつかり、砕かれ、滑らかになった石に猫や花を描いたり、木を切ってオブジェを作ったり、渥美さんは与えられた恵みの中でアート活動に専念するようになる。
「何を描いても、人々から『癒やされる』と言われるのが本当に不思議で、神様が私の絵を通して働いてくださっているのだと日々感じています」と渥見さん。作品は、石に猫を描いた「石猫」だけでなく、水彩画やカレンダー、ポストカード、ペンダントなど多岐にわたるが、必ず聖書の御言葉を書き入れている。
一方、今回の「不登校だった猫」展は、会場が民家を利用した建物で、まだ一部で補修が必要なところもある。クラウドファンディングで協力も呼び掛けており、実行委員会は「すてきな画廊ではありませんが、小さな手作り展覧会です。温かい気持ちがつまっている部屋でゆっくり見ていただければと思います。未完な展覧会であっても、希望が満ちているようにと祈っています」と話している。入場は無料。詳しくはホームページを。
日時: | 2018年6月1日(金)~30日(土)午後2時~6時(日曜休み) |
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場所: | 詩喜の家(東京都小金井市中町1-15-30) JR中央線東小金井駅下車徒歩15分 連雀通りから私道を入り、文月荘の奥、黒い門扉がある民家 |