日本宣教の活性化について語り合う「第40回日本伝道の幻を語る会」(日本キリスト伝道会=原登会長主催)で25日、「説教塾」で有名な加藤常昭牧師が講演し、「(牧師の語る)説教が伝道する説教になっていない」ことが日本のプロテスタント教会の最も大きな問題だと語った。
加藤氏が牧師の聖書勉強会「説教塾」を始めたのは今から20年前。これまでに20を超える教団教派から牧師が参加し、今も200人前後の牧師たちが全国各地で学んでいる。
「説教が狂っていれば、力がなかったら伝道はできません」と加藤氏。神学的に完璧に近い説教でも、「肝心なことは、これで伝道できるのか。新しく教会に来られた人が驚きをもって聴けるものなのか。この説教が福音を語っているのかどうか」、それこそが重要だと講演で語った。
加藤氏は、今の教会が抱える問題について、「『伝道、伝道』と口では言っているが、今の状況に満足していること」と鋭く指摘する。中には「新しい顔がわずらわしい」「教会員が増える」とつぶやきを言う信徒たちも教会にいるかもしれない。「それは(信徒が)自分について『幻』(ビジョン)を持っていないから」と加藤氏は語る。つまり、教会が伝道で成長し、新しい神の家族が増えてくることを喜ばない、ということだ。
加藤氏の牧会した日本基督教団・鎌倉雪ノ下教会では、加藤氏の呼びかけで教会の信徒ら全員が胸に名札を付けるようになった。それは名札を付ける自分のためではなく、新しく教会に来る人々のため。名札をつけることで、新しい人が集会に来ることをいつも待ち望む、そのような思いが信徒の中にも生まれてくるのではないかと加藤氏は見ている。
加藤氏が金沢で伝道しているときのこと。何とか教会に人を増やそうと、加藤氏はまず教会の玄関の戸をいつも開け放しておいた。すると、夫婦喧嘩で家を飛び出してきた女性や酔っ払いなど地域に住む様々な人が教会を訪ねるようになった。だが、それだけでは教会の信徒数はあまり増えなかった。
「戸を開いて待っているだけではだめ。出て行かなければならない」。そう決心した加藤氏は、教会員の友人や家族を足がかりに、牧師の話を聴きたい人がいれば自らそこに出かけて行き、聖書を教えた。それを数ヶ月続けるうちに、1人から始まったお話会が5人、10人と増えていき、それらが次々と家庭集会になっていったのだ。
「伝道とは人を教会の集会に呼んでくることか。それでは金沢で伝道はできなかった」と加藤氏は振り返る。加藤氏の伝道した地域では、日曜日午前10時半からの礼拝に出席できる環境にいる人自体がごく限られていた。「『日曜10時半に来なさい』ではできない。その人が思うところに行って、語らなければならない。それこそ使徒言行録にある伝道の姿」と説いた。
また、日本では「キリスト教」といえば外国の宗教というイメージが強い。しかし、「説教で『キリスト教』の話はしない」のだと加藤氏。「私は生きておられるイエス・キリストに捕まった。キリスト教ではなく、キリストそのものを信じている」と信仰の本質を強調した。教会ではいつも、「自分たちを(外国語の)『クリスチャン』ではなく、(日本語の)『キリスト者』と呼ぼう」と信徒らに呼びかけていたという。
牧師が説教で何を語るべきかについて加藤氏は、「十字架につけられているイエス・キリスト、これが(会衆に)見えなければ」と強調。「私たちのすることは、主イエスを紹介すること」「説教を聴いて、今キリストが生きておられる、(会衆が)キリストと抱き合うこと。そこに愛が生まれる」と語った。
また、教会が行うことは「人の罪と正面から向き合うこと」であり、それは人を裁くためではなく、「キリストの十字架によってしか贖うことができない世界」を知らせるためであることを強調。そして、「我々が伝道するのは、私が罪人だから」「神の憐れみを受ける見本」だからだと説いた。
最後に加藤氏は、「裁きのあるところに福音の伝道はない」「十字架の恵みの中に深く根ざすものであるように」と述べ、教会のあるべき姿を示した。