栄(は)えある人生へ、挑戦してみたい。
中国・唐の時代の「枕中記」という本にある物語です。
その主人公・蘆生(ろせい)は地方に住む貧しい青年でしたが、出世して豊かで華やかな人生を送りたいと勉強しました。その登竜門である科挙(進士)の試験を受けようと、都へ向かいました。その旅の途中、邯鄲(かんたん)という村の峠にある茶屋で一服、昼食に黃梁(きび)の料理を注文しました。
それが炊けるまで少しの間があるのでごろっと横になると、見ていた白髪・白髭の老人が持っていた嚢(のう・袋)の中から青磁の枕を取り出し、それを枕に寝るといいよ、と貸してくれました。では、というわけでそれを枕にすると、自分全体がその枕の中に吸い込まれるような夢を見ました。
しばらくして目が覚めると、時が進んでいるので、急いで昼食を取り、すぐに旅を続け、都に着きました。そして、予定通りに試験を受けたところ見事合格し、やがて中央の役所の官吏に登用され、エリート・コースを歩み出しました。そのうちに、ある名門の出の顕官の娘と結婚し、さらに出世し、首都の長官にまでなり、やがて節度使に任命され、辺境に侵入してきた吐蕃(とばん)チベット軍を打ち破ってさらに昇進しました。
ところが、時の宰相にうとまれ、南方へ左遷されましたが、その宰相が失脚して3年で復帰し、侍従長に任命され、そしてついには自らが宰相になり、国事の権力を振るっていました。ところが、また、ある筋からの讒言(ざんげん)で謀反が疑われ、警視総監である金吾将軍が逮捕にやって来たのです。
彼は身に覚えなく、悔しさのあまり自殺しようとしますが、妻が必死に止め、結局、環州(べトナム)へ流されました。おること5年、あの讒言が事実無根と判明し、都に呼び戻され、宰相に復職したのです。さらには公爵を授けられ、ぜいたくな生活、大勢の家臣・美女たちにかしずかれ、栄耀(えいよう)栄華の生活を過ごしました。しかし、寄る年波で病床に伏す身となったところ、天使様から名医が派遣され、見舞いの勅使が差し向けられるという栄誉にあずかるのですが、とうとう死ぬ時が来ました。そして、最後に大きな欠伸(あくび)をしたのです。
すると、そこで目が覚めたのです。えっ、夢を見ていたのか、と思って、周囲を見回すと、あの邯鄲の村の峠の茶屋にいたのです。横に、白髪・白髭の老人・呂翁(りょおう)が立っており、頭の下には青磁の枕、向こう側には黄梁の料理がぐつぐつと煮えていました。呂翁から「どうじゃ。栄華の人生はまだ足りんかな?」と言われて、蘆生は考えて、結局、故郷に帰って、田んぼを耕す人生を送ったというのです。一睡でなく、一炊の夢という物語。邯鄲の夢ともいい、黄梁の夢ともいい、また嚢中の枕ともいいます。
日本で立志伝中の英雄とされる豊臣秀吉。その死に際に残したとされる辞世の歌(戯作者の誰かが勝手に書いたのかもしれませんが)は、「露と落ち露と散りぬる我が身かな 難波のことは夢のまた夢」。どんなに波瀾万丈の人生、栄華を極めた人生も、間もなく終わりが来ます。済んでしまえば露のようなもの、はかなく消えてゆくのです。したこと、築いたものも速やかに崩れ去るのです。
誰もかれも、楽しい人生、充実した人生、成功する人生、人から褒められ、うらやましがられる人生、華やかな人生、栄えある人生・・・こうしたものにあこがれ、そうしたものを手に入れようと志し、励み、努力します。その努力自体は悪くはありませんが、ほとんどの人は成功できません。仮に、あこがれたものを手にした人も、少しの間だけ満足して、やがてたちまちのうちに死んでいくのです。死の向こうに人は何を持って行けますか?何も持って行けないんです。この世に残したものも、すべて遠からず消えてしまうのです。一炊の夢に終わるのです。
しかし、“消えておしまい”でない人生があります。それは、キリストを信じて生きる人生です。それは、いったんは死ぬが、死の後、天国で永遠のいのちに行き着くのです。この世の人生がすべてではありません。死んで後、永遠のいのちに引き継がれるのです。永遠のいのちは、いつまでも残るのです。そのいのちがもたらすものは、過ぎ去って消える満足、過ぎ去って消える充実感でなく、また、過ぎ去って消える栄誉でもありません。永遠に続く満足であり、永遠に続く栄誉、永遠に続く喜びです。他の何ものも約束しないこと、これをキリストが、聖書が約束してくれているんです。
「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(Ⅰヨハネ2:17)
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