人生の苦悩、不幸の原因は何か。
直接的原因としては、次のようなことが考えられます。
➀ その人の不注意、不摂生や悪行がもたらす結果である場合がある。例えば、不摂生な生活が病気という苦悩をもたらすのは身近に見られることだ。
➁ その人を訓練するための神の教育である場合もある。多くの場合、苦難は人を成長させる。謙虚にする。「艱難汝を玉にす」とのことわざもある通り。
➂ その人が悔い改めてキリストに出会うための「きっかけ」とする。その人の生き方が神に受け入れられない(つまり、ゆくゆくは滅びに至るものである)ことを警告するものであることもある。
➃ 先祖が犯した罪の悪影響が及んだものもある。
「わたし(神)を憎む者には父の咎を子に報い、三代四代にまで及ぼし、・・・」とある。例えば、先祖が、神をわらい、大酒飲みでアル中になり、その悪い影響が子孫に及んだ場合、先祖が不倫を繰り返し、家庭が壊れて、悪影響を及ぼしている場合など(・・・先祖のせいですから、その人の生き方いかんで緩和されたり、良い道が開かれたりします)。
➄ この世の人生が、どかっとあぐらをかいて生きる場でないこと、この世を超える永遠の命を目指すよう教えるためである場合もある。
➅ 訳の分からない苦悩である場合も多い。
➆ その苦難に耐えることにより、神の栄光が現されるためのものもある。典型的には、聖書のヨブ記の主人公ヨブの遭わせられた苦難がそれである。
➇ 神のみわざが成るために必要な苦難である場合もある。イエスの受難はその代表であるが、弟子たちの受ける迫害、苦難もそうである。ヨハネ福音書第9章に出てくる「生まれつきの盲人」について、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもない。神のわざがこの人に現れるためである」と示された。
多くは、当人にとって、訳の分からない苦悩・不幸でしょう。自分が苦難に出会ったとき、普通の人は、まず上の ➀~➃ どれかではないかと謙虚に考えてみることが必要です。➅ の場合は、その機会に、自分が神に不誠実でなかったか、顧みることも大切なことです。しかし、どうしても心当たりがないときは、➆➇ のどれかに該当する場合があるかもしれません。それでも理由の分からない苦難もけっこう多いですね。この場合は聖書の次の言葉を思い出してください。
「天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも、 高く、わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:9)
このように言われる神を信頼し、お任せして耐えることが大切です。いつか分からせてくださる時が来るでしょう。仮に分からなくても、そのようにして神を愛して生きるなら、神は、そのような人のためにすべてのことを働かせて益になるようにしてくださいます(ローマ8:28)。
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