1. 南北分断の悲劇はなぜ起こったのか?
21世紀に入った今日も、分断国家として残ってしまった朝鮮半島(韓国では韓半島)。この国の人々が望んで南北に分断されたわけではなく、米英ソの大国が決めた38度線によって分割されてしまったのですが、その経過を振り返って見ますと次のようなものです。
1)外圧による分断
1945年7月、日本はポツダム宣言で「戦犯の処刑」「領土の極限」「徹底した民主化」など、幾つかの条項を要求されました。その中の「日本軍の武装解除」に伴う和平の維持・管轄のため、北緯38度線を境として、北は終戦直前に連合軍に加わったソ連が、南は米国を中心とした国連軍が臨時的に管轄し、南北とも選挙で指導者を選ぶことが決められました。
その決定に従って韓国は選挙を実施し、初代の李承晩(イ・スンマン)大統領を選び、民主国家再建の道に進みます。しかし、北は決定に従わず、金日成(キム・イルソン)を中心に着々と無神論共産主義化の道をひた走り、それがさらなる悪を生む温床となっていったのです。
2)朝鮮戦争の勃発
軍国日本から36年ぶりに解放されて独立万歳で街を叫び歩いていたのもつかの間、5年後の1950年6月25日、中ソ両国の支援を受けた金日成の北朝鮮(北韓)共産軍が、38度線全線にわたって奇襲南進攻撃を仕掛け、朝鮮戦争(別名6・25動乱)が勃発します。ここに太平洋戦争になんなんとするおびただしい戦争犠牲者を生み出した大惨事の幕が切って下ろされたのでした。
この日は日曜聖日でした。また、田植えの時期でもあったため、猫の手も借りたいほど忙しい農家のために、韓国軍は若い兵士の大部分を帰郷させていました。教会では朝5時からの早天祈祷会や聖日礼拝の準備にあわただしい時で、北はこれらを皆熟知した上で、6月25日早朝4時に奇襲攻撃をかけたのです。まさに「サタンは聖日に悪事を働く」と言われるがごとくです。
こうして韓国と北朝鮮の長く、困難を極める分断の歴史が始まったのです。
3)休戦ラインの固定化
ポツダム宣言発効の時は、38度線はあくまでも一時的で便宜上の分境線にすぎなかったのが、前述のような経過を経て次第に固定化の様相を濃くするようになっていきました。殊に、朝鮮戦争後は横に直線だった38度線に代わって、右に高く左に低い東高西低の軍事休戦線(MDL)が両国を分け隔てることになります。北の共産政権はこりもせず、再侵略の野欲を露骨にしており、MDLの下には20本を超える地下トンネルがあるとされています。北が再南進の機会を虎視眈々(こしたんたん)と狙い、いつ何が起こってもおかしくない状況ですが、それを阻止してくれるのが4万5千の在韓米軍の存在なのです。
離散家族は南北合わせて1千万人に達し、朝鮮戦争の痛みもいまだに癒えておらず、他にも解決しなければならない諸問題が多くあります。それにもかかわらず、北韓政権には、問題を解決しようという真摯(しんし)な姿勢はまったくなく、ひと握りの政権維持のために汲々(きゅうきゅう)としているだけで、住民の必要(衣食住)や痛みなど眼中にはないのです。
2. 朝鮮半島の福音化と共産化
この国がまだ南北に分断されていなかった1945年以前の宣教的状況はどのようなものだったのでしょうか。
1)欧米の宣教師の来韓
米国の長老教会からホレイス・グラント・アンダーウッド、メソジスト教会からヘンリー・アペンツェラーの両宣教師が、同じ船に乗って仲良く仁川(インチョン)港に到着したのが、1885年4月5日(復活祭の日)でした。同船の仲良しなら伝道も仲良くというわけで、一緒にと言うわけではありませんでしたが、競合を防ぐために半島を二分した場合、アンダーウッドは主として北の方を、アペンツェラーは南の方を重点的に伝道することになりました。
その結果、南はソウルを中心にメソジスト教会の伝道が進み、北は平壌を中心に長老教会の伝道が進みます。こうしてかの有名な1907年の「平壌大リバイバル」に発展し、平壌は「東洋のエルサレム」と呼ばれるまでになっていくわけです。
2)韓国の福音化の速さ
日本のプロテスタント伝道が1859年に開始されたのに対して、韓国の伝道はそれより25年ほど遅れて始まりますが、韓国では福音が急速に広がります。日本のクリスチャン人口が1パーセント弱であるのに対して、韓国は一時20~25パーセントにまで達していたほどです。
3)物質主義の波と共産主義の壁
これは現在の南北の実情を一言で言い表したものです。韓国と日本は軌を同じくする道を歩んでいるため、共通点も多いですが、物質文明が進めば進むほど、好むと好まざるとにかかわらず、物質主義の波に国民が呑(の)み込まれていくというのが現状です。教会も例外ではなく、逆戻りができないというリスクがおまけに付いています。
一方、北朝鮮は今、共産主義の宿命ともいうべき壁に突き当たり、行き詰まりつつあります。共産主義国家というものは、世界のどの国においてもこのような退廃の方向に陥るのが普通ですが、北朝鮮の場合、並外れて極端な独裁と迫害の恐怖政治が3代にわたって今まで継続しているのは、まさに悪魔の仕業と言うほかありません。世界最悪の独裁国家、国民に食べさせないで核開発にのめり込む最悪の貧困国、最悪のキリスト教迫害国、最悪の人権蹂躙(じゅうりん)国など、悪名は枚挙に暇(いとま)がありません。しかし、その出発点は逆に希望に満ちたものでした。
朝鮮半島に無神論共産主義を導入したのは金日成でしたが、彼の生い立ちは意外なものでした。母方の家庭はクリスチャン・ホームであり、伯父は牧師でした。そういう家庭環境にありながら、なぜ金日成のような人物が出たのか。しかも自分を神格化した「主体思想」なるものは、キリスト教教理を悪用したものであり、専門家の間では新興宗教と言うべきだとの主張が上がっているほどです。
3. 歴史は逆戻りできない
前述のように、軍国日本から解放されて南も北も新たなる出発をしました。南の韓国は民主主義体制の下で順調なすべり出しをしましたが、北朝鮮は初めからボタンの掛け違いを犯したのです。
1)韓景職牧師の使命
日本でもよく知られている永楽教会初代牧師の韓景職(ハン・ギョンジク)先生は、多くの賜物が与えられていた方でした。科学者として将来を嘱望されて米国に留学するも、重い肺炎にかかり、余命いくばくもないとの宣告。「癒やされたなら、帰国後この身を祖国の復興と福音化のためささげます」との祈りがかなえられ、回復して帰国するや、北の新義州(シニジュ)の教会から招かれ、使命に燃えて牧会を始めます。しかし、日本の官憲の妨害で辞任のやむなきに至ります。
今度はキリスト教学校で教鞭を執り始めるが、またも朝鮮総督府の妨害で辞めざるを得なくなります。その悪辣(あくらつ)な軍国日本の敗戦とともに、まずは、まともな政府を樹立しなければとの使命から、キリスト教政権樹立に参画。しかし、共産主義者の妨害で断念し、朝鮮戦争の激化に伴い27人の信徒たちと共に小さなモーセとなって北を脱出、信仰の自由を求めて南下します。そして、現在の永楽教会がある同じ場所でコミュニテイー・チャーチとしてベタニヤ教会を設立し、戦火を逃れて南下してくる多くの避難民を迎え入れました。そこは避難民たちの「憩いの場」「再会の場」となり、後の永楽教会の礎となりました。
このように韓景職先生は、生まれも教会もすべて北にルーツがあるため、寝ても覚めても南北平和統一と北韓宣教が脳裏から離れたことはありませんでした。そのこともあり、永楽教会の歴代の後任牧師は、本人か父母が北韓出身である事が第1条件となっているのです。
2)北朝鮮宣教の本拠地
以前から永楽教会は北韓宣教の拠点であり、毎年開催する北韓宣教セミナーや展示会など、さまざまな働きをしています。超教派的には、韓国の1つの教会が北にあった1つの教会を再建しようとする「1対1」の運動も進んでいます。
韓景職先生は引退後、アジア人では初めて宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞されましたが、賞金の100万ドル全額を北韓宣教と南北統一後の教会建築のためにささげておられます。清貧に甘んじ、謙虚で柔和な先生のお人柄は今も多くの国民・聖徒たちに慕われています。
われら日本の教会・キリスト者は、関心事や祈りの課題が自分たちのことで精いっぱいになりがちですが、申しましたように隣国の分断の原因が「日本軍の武装解除」に端を発したものであったことを思うとき、朝鮮半島をはじめアジアへの侵略行為がいまだ多くの未解決の課題を残していることに鑑み、あらためて主の御言葉の前に謙虚にひざまずく者でありたいと願います(歴代誌二7:14、エズラ・ネヘミヤ・ダニエルの各9章、マタイ5:23、24など)。
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