主イエス・キリストに信仰を置いているキリスト者は、誰もが新しく創造された者である(コリント二5:17)。私たちは、私たちに対する神の愛について初めて聞いたときよりも、そのずっと前から、想像もできないほどの多くの恵みをすでにいただいているのだ。
神の愛は実に驚異的だ。聖書は、私たちがまだ罪人で堕落していたとき、救いが私たちにどうしようもなく必要であったときに、私たちのためにキリストが死んでくださったことを教えている(ローマ5:7、8)。そしてキリストは、私たちの罪が赦(ゆる)されるために死なれただけでなく、私たちに今もとこしえにも生きる希望を与えるため、墓よりよみがえられたのだ(ペテロ一1:3、コリント一15:57)。
キリストにより、神が私たちに与えてくださったことは多くある。私たちは罪から赦されただけでなく、義とされた(コリント二5:21)。私たちは義とされただけでなく、新しい心と新しい霊をいただいた(エゼキエル36:26)。そして、私たちは新しい霊をいただいただけでなく、新しい心、新しい思いもいただいたのだ。新しい心、新しい思いとは、キリストの心、キリストの思いである(コリント一2:16)。
キリストの心、キリストの思い
キリストを信じる人は、キリストの心、キリストの思いを持っている。しかし、実際のところ、キリストのように考えるということは大変だと思う人もいるだろう。特に物事が簡単ではないとき、そう感じるのではないだろうか。
物事が大変なとき、困難を覚えるとき、私たちは否定的に考えてしまう傾向にある。例えば、絶望したり、怒りを感じたり、というようにだ。また、心の中でしてはいけない悪いことを想像してしまう場合もある。例えば、生活に困窮しているときに、金品を盗むことを考えてしまうというようなことだ。誰もが、兄弟姉妹からこうした類いの話を聞いたことがあるのではないだろうか。おそらく私たち自身もこういう傾向にある。いや、本当のところ、私たちのほとんどはこのような者だ。
もし私たちがこのようであるなら、私たちには励ましの言葉がある。神は私たちの心に何があるのかをご存じだ。そして、神は常に私たちを義とし、新しくすることに全力で取り組んでおられる。神は、私たちを霊的に新しくすることについて、日々真剣に関わってくださっているから安心しよう。しかしながら、私たちは私たちがすべき分を果たす必要がある。
私たちがすべき分
ここに、正しいこと、つまり神の喜ばれることが自分の望み、願いとなるために、私たちができることが幾つかある。
1. 悔い改める
私たちがすべき最初のことは、どのような罪も常に悔い改めることである。ヨハネの手紙一1章9節は、これが鍵であると私たちに伝えている。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。(ヨハネ一1:9)
私たちの罪を神に告白することは、赦され、自由になるための扉を開く。私たちが認識しておかなければいけないことは、私たちが罪を犯すたびに、私たちは神を悲しませているだけでなく、神から切り離された状態に陥るということである。私たちは罪を神に告白し、ただちに悔い改めなければならない。罪をため込まず、これ以上罪が長引かないようにするべきだ。
2. 主にあって喜ぶ
次に、私たちは神にあって、喜ぶという選択をする必要がある。そうすることで、私たちは報いを受ける。神にあって私たちが喜んでいくとき、神はご自身に栄誉を与える新しい望みを、私たちの心にお与えになるだろう。詩編37編4節(新改訳)には、次のように書かれている。
主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。(詩編37:4)
3. 神の言葉により変革される
最後に、私たちがもし、イエスだったらどうするかを真剣に考えてみたいのであれば、どっぷりと御言葉に漬かり、御言葉を黙想し、そして御言葉に従わなければならない。イエス・キリストご自身は肉となられた言葉であるが、父が言われたこと以外は何も行わないと言われた(ヨハネ8:28、同5:19、20)。そのことについて考えてみてほしい。
そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。(ヨハネ8:28)
そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。(ヨハネ5:19、20)
私たちは、神の御言葉で心を新たにすることができる(ローマ12:2)。だから、主がヨシュアに語ったこと(ヨシュア1:7、8)に従って行こうではないか。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12:2)
ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。(ヨシュア1:7、8)