人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。 (詩篇37:23、24)
フランク・バンダーマーテンは、十八歳のころにはすでに、アイオワ州スーカウンティで最も優れたバイオリニストでした。
ある日、父親の仕事場で、恐ろしい出来事が起こりました。彼の父親は鍛冶屋でしたが、真っ赤に焼けた鉄の棒が、フランクの左手の上に落ちたのです。それは、あっという間の出来事でした。左手の四本の指が切断され、残ったのは一本の親指だけでした。フランク・バンダーマーテンは、若くして有名なバイオリニストになっていたのに、その前途は真っ暗になりました。
しかし、彼は神を信じる勇気ある男でした。彼は、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」(ピリピ4:13)と信じました。本当に大変なことでしたが、彼はあきらめませんでした。信仰はいつも望んでいることを保証します。彼は前向きに考えることをやめませんでした。フランクは右手でバイオリンの弦を押さえようと考えました。彼は左手の親指でバイオリンの弓を持ちました。ただひたすら、イエス・キリストを信じ、不屈の精神と努力で、練習に打ち込んだのです。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできる」(マルコ9:23)という聖書のことばを信じ、そう考え、そう告白し、そのように実行したのです。
彼、フランク・バンダーマーテンは今では、アイオワ州スーカウンティの交響楽団で、卓越したバイオリニストとして活躍しています。
人生には私たちを押しつぶすような大きな試練や問題が、幾度となくやってきます。しかし、どんな病気や事故、苦しみや失望にも打ちのめされないで、勝利する道があるのです。それはイエス・キリストとともに生きることです。イエス・キリストの生命を、自分の中に体験することです。そこに、必ず道は開け、輝かしい人生が始まるのです。神とともに生きる人生に、恐れはありません。すべてが益となるのです。
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。 (ヤコブ1:12)
聖書は試練に遭うことは、当たり前だと言っています。この世に生きる限り、悩みや苦しみは避けられないでしょう。「なぜ私がこんな目に遭わなければならないのか?」「なぜ?なぜ?なぜ?」と、多くの人が心の中で叫び、うめいています。
しかし、患難や試練には目的があります。試練は、打ちひしがれるためではなく、乗り越えるためにあるのです。あなたの人生にある苦痛や試練は、あなたの人生を聖くし、高め、輝かすためなのです。ことわざにも、「艱難汝を珠にす」とありますが、それは人生共通の体験です。そのことが本当に分かると、人生は勝利に変わります。つぶやきは感激に、悲しみは喜びに、憂いは賛美に変えられるのです。
人生は敗北するためでなく、勝利し、祝福を受け、幸せになるために、あなたに備えられているのです。
イエス・キリストを信じ、心の中にお迎えなさいませんか?明るい光が、そうです、喜びと希望の光が、今日からあなたの人生を照らし、輝くばかりの幸せの日々を体験できるのです。
三重県の伊勢志摩公園は、真珠の養殖で有名です。真珠はどのようにして造られるのでしょうか?まず真珠貝の中に、真珠の核となる小さな玉を入れます。貝は自分の体の中に余分なものが入ってきたので、何とかしてそれを出そうとします。しかし、絶対出ない所に入れてあるので、どうしても出せません。普通は三年から五年、長いもので七年、その余分なものを入れたまま、貝は痛いので、何とかして押し出そうと液を出しつづけます。そうしているうちに、あの小さな玉は、真珠貝の出す液によって、美しい玉となっていくのです。そうです。真珠は真珠貝の涙なのです。
人生も同じです。イエス・キリストを信じてみてください。今までの苦難の意味が分かります。生きてきた意味も、すばらしさも、きっとお分かりになるでしょう。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『希望の声』(マルコーシュ・パブリケーション)は、同師がラジオ番組「希望の声」で伝えたメッセージをまとめた珠玉のメッセージ集。放送開始25年を迎えた98年に、過去25年間伝え続けたメッセージの中から厳選した38編を紹介している。