コモス・アバ・ハイレ・ギオルギス主教がスイスから来日し、1日、東京四谷にあるカトリック女子修道会「幼きイエス会ニコラ・バレ」(同会による雙葉[ふたば]学園に併設)で聖ミカエル東京エチオピア正教会の聖体礼儀を執り行った。スイスにある5つのエチオピア正教会の責任を持つギオルギス主教は、今回で3度目の来日になる。
この日、洗礼機密にあずかったのは2人の子ども。そのうちの1人は、日本人とエチオピア人夫妻の子で、日本人の友人らも祝福に駆けつけた。
ギオルギス主教は、4年前、韓国釜山で行われたエチオピア正教会のシンポジウムに参加。在韓エチオピア正教徒に、日本にも少人数だが信徒がいることを教えられ、その後、日本に来たのが最初だった。主教は次のように話す。
「日本は、世界でもトップクラスの経済力を誇る国。歴史や文化を重んじる一方、最新鋭の技術を持っている国でもある。街はとてもきれいで、人々は非常に親切で礼儀正しく、何に対しても熱心だ。これが日本の原動力だと感じている。戦後、急発展した日本は、このような国民が支えていたのだと、来日してあらためて感じた」
主教は日本の食事、特にすしや緑茶が好きで、成田空港に到着するとすぐに「お茶が飲みたい」とリクエストするほど。また、1964年に行われた東京オリンピックでエチオピア代表のマラソン選手アベベ・ビキラ氏が大活躍したこともあり、「日本は遠いようで近い国」だった。
聖ミカエル東京エチオピア正教会は10年前、在日エチオピア人数名によって始まった。聖職者不在の中だったが、信徒たちは信仰を守り、奉神礼(正教会における礼拝、典礼)を続けてきた。現在では60人ほどの信徒が2週間に1度集まり、国費留学中のネガシ・アブラハさんを聖職者として奉神礼を行っている。日本に会堂はなく、都内のカトリック関連施設などをその都度借りている。
エチオピア正教会の本部にも日本の信徒の実状を話し、会堂建設に関する支援、またネガシさんが帰国した後も奉神礼を司式できる聖職者が与えられるよう伝えているが、支援が来るめどはまだ立っていない。
「教会は、毎日の生活の中で困った時、うれしい時に訪れて、祈りや感謝をささげる場所。また、外国にいる信徒にとっては、国が恋しくなったら、そこで共に祈り、故郷を感じられる場所でもある。建物が与えられるように祈りたい」と主教は話す。
翌2日からは広島を初めて訪れる。ギオルギス主教は学生時代に広島や長崎の歴史に触れて以来、ぜひ1度は訪れたいと思っていたという。
「広島や長崎の原爆投下は、あってはならないこと。宗教者としてというより、この地球上に住む1人の人間として、とても悲しい。広島では、72年前に思いをはせ、被爆した人たちのつらさ、悲しさ、寂しさを少しでも分かち合うことができたらと思っている」
聖体礼儀の後、信徒たちは長い列を作り、主教から祝福を受けた。聖油を塗ってもらったり、十字架のペンダントを受け取ったりした。中には、聖油を耳に流し込んでもらう人も。「あれは何をしているのか」と尋ねると、痛いところに聖油を入れて祈ると、症状が緩和されるのだという。信徒らは、聖体礼儀が終わるまで朝から断食を行い、聖体礼儀の後に聖水を飲むのが習わしだという。
「日本にはクリスチャンは少ないかもしれない。しかし、信仰とは数ではない。1人でも2人でも、そこに神様はおられる。信仰を持って祈り、互いに愛し合っていれば、いずれ数は後からついてくる。信仰をさらに強めて、共に頑張りましょう」とインタビューを締めくくった。