聖ミカエル東京エチオピア正教会が10日、東京四谷にあるカトリック女子修道会「幼きイエス会ニコラ・バレ」(同会による雙葉学園に併設)で、「新年」(エチオピア暦)を祝う聖体儀礼と交わりの時を持った。お祝いの日とあって、朝早くから信者らが室内を飾り付け、女性は白が基調ながらも華やかなドレスと頭を覆う布に身を包み、ゆったりと会堂に入ってくる。そして、慣例に従い、会堂では靴を脱ぎ、たとえ家族であっても男女分かれて座った。
エチオピア。アフリカを九州にたとえると、大分県南部の位置にあり、日本の約3倍の面積に、日本とほぼ同じ人口を有する。アフリカ最古の独立国であり、戦中の数年間、イタリアの植民地になっただけで、独自の文化を守り続けてきた。日本に住むエチオピア人は484人(2015年12月現在。外務省)。
エチオピア暦(※)では、9月11日が新年となる(うるう年は12日)。シェバ(エチオピアとの説もある)の女王がソロモンを訪ねてエルサレムを来訪したが(列王上10:1~13、歴代下9:1~12)、「ソロモン王は、シェバの女王に対し、豊かに富んだ王にふさわしい贈り物をしたほかに、女王が願うものは何でも望みのままに与えた」(列王上10:13)ことにこの「新年」の日は由来するという。そのため、エチオピアでは新年に贈り物をする習慣がある。また、エチオピア初代の王はソロモンとシェバの女王の子とされている。
ペンテコステ後、最初の殉教者フィリポがエチオピアの宦官に伝道して洗礼を授けたエピソードが有名だが(使徒8:26~39)、エチオピア正教会は、4世紀にフルメンティウスによって布教されたのが始まりとされる。信者の数は、エチオピアを中心に全世界に約3800万人で、さまざまな国の東方正教会の中で最も多いといわれる。
ただ、日本には会堂がなく、聖体礼儀をつかさどる常任の聖職者もいない。そのため、茨城県の大学で学んでいるネガシ・アブラハさんが聖職者を兼務している。信者の数は60人ほど。聖体礼儀は、会場の関係で2週間に1度行われる。
「最低でも、週に1度は教会で聖体礼儀にあずかりたい。できることなら、他の日に兄弟姉妹と共に祈る場もほしい。しかし、信徒の数は少なく、都内には会堂を持てるような予算はない」と信者の1人は言う。
エチオピアで独自の発展を遂げたエチオピア正教会は、アラブ文化の影響を受けているエジプトのコプト正教会と違い、独特の雰囲気と習慣が聖体礼儀の中にも随所に見られた。
この日行われた聖体礼儀には、特別な日とあって、日本人のカトリック信徒や正教会の関係者なども参加。エチオピアの事実上の公用語アムハラ語で進行するため、他の言語を話す人々にとって理解することは難しいが、彼らのまなざしには神を敬う真剣さが感じられた。
布の傘の下で聖職者が聖書を朗読するが、その傍らで堂役(侍者、奉仕者)がその傘やロウソクを持つ。聖職者も堂役もすべて男性。1時間ほど厳かな儀式が続いた。その間、信者たちは立って御言葉を聞く。
その後、太鼓に合わせた賛美、聖職者による説教と続く。聖体礼儀は全部で3時間に及ぶ。すべてが終了すると、聖職者が木製の十字架を持って会衆一人一人をめぐり、信者たちはその十字架に額を付け、口づけをする動作を3回繰り返す。そのすべては男性から始まる。
聖体礼儀が終了すると、エチオピア料理が振る舞われた。この食事は、新年のための特別な料理ではなく、一般的に食べられている料理だという。薄いクレープ状の少し酸味のある「インジェラ」が主食となり、その上に肉、野菜、チーズ、卵などが盛り付けられる。インジェラは、イネ科の植物「テフ」の粉を発酵させたものを焼いて作られる。紀元前100年頃からすでにエチオピアで食べられていたと伝えられている。日本国内ではこのテフを手に入れることは非常に困難なのだという。肉料理は香辛料が効いていて、ピリッと辛い。スプーンなどは使用せず、インジェラの上に料理をのせ、それを包んで片手で食べる。印象的だったのは、料理の準備、配膳に至るまで、男性信徒が実によく動いていたことだ。
食事が終わっても、彼らのエネルギーはますます熱を帯びる。食事を片付け、聖体礼儀で使用した器具や椅子などを仕舞い、広くなった場所で円になったかと思うと、太鼓の音が再び鳴り響く。言葉は理解できなかったが、彼らが心から楽しそうにしているのが手に取るように分かった。踊りの中で時折、女性が腰のあたりで手を左右に振る。また、甲高い声で「ルルルルルー」という声を出すのも特徴的だ。意味を聞いてみると、いずれも「感謝」なのだという。心から喜び、踊りと声によって「感謝」を表現する賛美には、日本人クリスチャンも見習うべきことがたくさんあると感じた。
聖職者のアブラハさんは言う。
「エチオピア正教会は、エチオピアで発展したキリスト教です。言語も独自のものを使っていて、なかなか他の国の人が受け入れるのには時間がかかるでしょう。ここ日本で私たちは独自のコミュニティーを作り、このように信仰を守ってきました。私はあと半年でエチオピアに帰らなければなりません。大学での勉強が終わるからです。しかし、私が帰国してしまえば、このコミュニティーには聖職者がいなくなってしまいます。とても心配です。私の代わりに誰かエチオピアから来てくれればよいのですが、私自身が日本に残って、さらに勉強するという選択肢も考えています。まだ何も決まっていませんが、祈るしかありません」
聖書には、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)とある。日本にもエチオピアにも、確かに福音が宣べ伝えられている。習慣、文化、言葉の壁を超えて、キリストの愛が確かにあることを強く感じた。
※エチオピア暦 6世紀にキリストの生誕年が算出され、それに基づいた西暦が現在、世界で最も広く使われているが、エチオピアではイエス・キリストの生誕年を紀元7年としているため、2017年は、エチオピアでは9月11日から2010年となる(ちなみに、歴史上のヘロデ大王の没年から、紀元前4年がキリスト誕生の年と現在では考えられている)。エチオピアでは1カ月がすべて30日で、残りの5日が13月となる。4年周期でそれぞれ4人の福音書記者の名が付けられており、今年はヨハネ年。