やがて船は鹿児島に着き、一行は日本の土を踏んだ。ザヴィエルの目に映ったのは、戦乱のために荒れ果てた町であり、破壊された石垣、焼き討ちに遭った民家が無惨な姿をさらしていた。
すぐ脇の崩れた塀には、血が飛び散った跡があり、1人の男がたわしでこすっていた。先ほど、ここで武士が1人の老人を試し切りしたのだそうだ。
そこへ薄汚い顔をした子どもたちがワイワイ騒ぎながらやって来た。彼らは両手両足を切り取った犬の死骸を引きずっている。残飯をあさりに来たので竹やりで刺して殺し、見せしめのために四肢を切り取って引き回しているのだそうだ。
「大人が残酷だから子どもも残酷ですね」。トルレスが顔を背けながら言った。取りあえず、パウロたちの店「南蛮堂」に向かうことにした。
「あれ、おまえさん、ヤジロウじゃないか。今までどこにおった?」。近所の金物屋の主人が声を掛けた。彼がお尋ね者になっているので、役人に目を付けられた両親を遠くに逃したのだという。パウロたちは涙を流しつつ手を合わせた。そこへ、人々がなだれのように押しかけて来た。
「やい、バテレンども、出て来い!」。パウロは店の後ろの空き地に縁台を3つ置いて、そこにザヴィエルたちをかけさせた。しかし、彼らは裏木戸を壊してなだれ込んだ。
その時、子どもの1人がアマドールの肩に乗っている猿を見て叫んだ。「あっ、猿じゃ!猿がおるど!」。急に空気がなごやかになった。ザヴィエルは、その男の子を抱き上げた。すると子どもは、彼の首から下がった十字架をいじって、これは何かと尋ねた。
「これは十字架といって、イエス様が私たちを愛してくださるしるしですよ」。そう言って彼は、初めてこの地で福音を語り始めた。
幾日もたたないうちに、鹿児島の町は異国から来たパードレのうわさで揺れ動いた。そのうち薩摩の城主島津貴久の耳にもこのうわさが届き、彼はことのほか興味を示して、一行を館に呼び寄せることにした。駕籠(かご)では窮屈だろうと、特別に馬が用意され、一行は一宇治城に向かった。
「よく参られた。さぞお疲れのことであろう」。島津候は満面の笑みをたたえて迎えた。そして、茶や菓子を運ばせ、もてなした。
ザヴィエルとトルレスは、携えてきた包みを開き、中から美しい聖画を出して献上した。そして、ザヴィエルはその絵の説明とともに、イエス・キリストの生涯と十字架の意味を分かりやすく語った。パウロが通訳した。
すると、貴久は絵の前にひざまずき、手を合わせた。「このように尊いものを日本で見ることができるのは、この上なき幸せじゃ」
そして、礼として何か望むものがあればかなえようと言うので、ザヴィエルは言った。「一番望むことは、すぐにでもキリスト教の布教がしたいので許可を頂きたいのです」
すると、貴久はカラカラと笑った。「はて、欲のないことを。布教の許可はこの貴久がしかと約束しよう。それから、わが島津家の菩提寺である福昌寺の離れが空き家になっておる。そこを宿として与えるから行って住まうがよい」。一行の顔は喜びに輝いた。
福昌寺に住居を定めると、ザヴィエルは毎日寺の前で集会を開き、語った。パウロが通訳をした。その日も集まった人たちに向かって「貧しい人は幸いである」という話をしていると、坂の下のほうが騒がしくなってきた。
なんだろうと行ってみると、両手を後ろ手に縛られた男が、死に物狂いで逃げようとして喚(わめ)いている。
「さあ歩け!歩かんか!」。役人たちは力づくで引っ張っていこうとしたが、恐慌をきたした男は大暴れし、地面にひっくり返ってしまった。強盗を働いたので、これから刑場で磔(はりつけ)にされるのだと通行人が教えてくれた。
「嫌じゃ!死にたくなか!」。男は叫び続けた。ザヴィエルは男に近づくと、その肩に手をかけた。そして、パウロに通訳させて語った。
「昔、あなたと同じように強盗の罪に問われた人が磔になりました。でも、真ん中で十字架につけられた方は、イエス様といって私たちを救うために来られた方でした。イエス様は強盗に言われました。『あなたは今日私と共にパライソ(天国)にいます』と。今もイエス様はあなたを待っておられますよ。悲しみも苦しみもない場所で」
どういう奇跡が働いたのか、男は急に静かになり、その顔は微笑で輝き始めた。「ありがとうございます。これで安らかに死ねます」。そう言って頭を下げ、歩き出した。
*
<あとがき>
鹿児島に着いたザヴィエルの一行は、旅の疲れを癒やすためにヤジロウの店「南蛮堂」に向かいます。すると人々は、珍しいものでも見るように四方から押し寄せ、「バテレン(パードレの意)ども、出て来い!」と大声で叫び立てるのでした。
ザヴィエルは、初めて出会った日本の人たちにどうやって福音を伝えたらよいのか分からずにいました。そんな時、ザヴィエルに抱き上げられた1人の子どもが珍しそうに、彼が首からかけている十字架をいじりながら尋ねたのです。
「これは、何じゃ?」。この時、ザヴィエルは答えます。「これは十字架といってイエス様が私たちを愛してくださるしるしです」。これが、日本において初めて語られた記念すべき福音のメッセージでした。
この直後、ザヴィエルは刑場に引かれていく1人の男を死の恐怖から救い、永生の希望を与えますが、これが日本伝道への手掛かりとなるのです。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。