兵庫県神戸区兵庫島上町(ひょうごしまかみまち)にある「賀川回漕店」はたいそう繁盛していた。店主の賀川純一は商売上手で、郷里徳島県の産物「阿波藍(あわあい)」(染物の原料)の輸送で財産を築き上げ、裕福な暮らしをしていた。
しかしながら、彼は自分の家族のことはあまり顧みない男であり、正妻みちと別居し、芸者の萱生(かおう)かめとの間に端一と栄という2人の子どもをもうけていた。
やがて1888(明治21)年7月10日、かめとの間にまた男の子が生まれた。純一は、ことのほか喜び、日頃信心している大麻比古(おおさひこ)神社の豊受(とようけ)大神から名前をもらい、豊彦と名付けた。
「この子は将来出世するよ。五穀豊穣をつかさどる神様から名前を頂戴したからな」。純一は、かめにそう言った。後になってこれは、全く別の意味で実現した。
豊彦はすくすくと育ち、4歳になった。家のすぐ近くが海岸だったので、彼はよく砂浜で遊んだ。遊び友達はたくさんいたが、なぜか少し経つと、彼らは意味ありげに目配せし合ったり、変な目で見るようになった。どうしてだろう? 彼は首をかしげた。
そんなある日、彼は男の子たちを相手に砂浜で相撲をとっていた。彼はなかなか力があって、相手を片端から負かしてしまった。
「この子は小さいくせに強いなあ。これはかなわん」。彼らは口々にそう言って引き揚げようとした。その時、負けた一人が、服についた砂を両手で払い落としながら、憎々しげにこう言った。「へん。偉そうにしていたって、お前は妾(めかけ)の子じゃないか」
すると、仲間たちは急に白々しい表情になった。「こいつは力があっても、少しもいばれないのさ。やあい! 妾の子!」。彼らは思い切りはやし立てると、行ってしまった。
(だからみんなは自分のことを変な目で見るんだな。)ようやく豊彦は納得できた。あの優しい母は父の本当の妻ではなくて、遊び相手だったのである。これは彼を打ちのめした。
そのうち、弟の義敬(よしのり)が生まれると、彼は少し慰められた。この弟が大好きで、終始背中におぶっては、どこへでも出掛けていった。彼は相変わらず近所の男の子たちと暴れ回ったが、その日も棒切れを振り回してチャンバラごっこをしていた。そこへ、熊吉という番頭が青い顔をして迎えに来た。
「坊ちゃん、早くおうちにお帰りなさいな」。その様子がただごとでないので、急いで帰ってみると、父の純一が息もたえだえになって死を迎えようとしていたのである。豊彦が取りすがると、父はかすかに目を開けた。
「お前の将来が心配だ。こんな父親を持って、かわいそうにな」。そして、苦しげに息をつくと、純一はそのまま息絶えた。かめの嘆きは大きく、彼女は幾日も泣き暮らし、日に日に痩せ衰えていった。
年が明けて1893年1月2日。かめは下の弟、益慶(ますよし)を産んで間もなく、熱を出して重体となり、17日の夕方、夫の後を追うようにして世を去った。賀川家の子どもたちは、天涯孤独の身となったのである。
30歳になる兄の端一は、父の店を継ぐことになり、幼い2人の弟は乳母のお駒に引き取られた。そして豊彦と姉の栄は徳島に住む正妻みちの所に身を寄せることになり、兄弟5人はばらばらになったのであった。
この時から、豊彦のつらい日々が始まった。正妻のみちは妾の子である2人を憎み、気に入らないことがあると殴りつけたりした。
「ああ、なんて不運なことだろう。妾が産んだ子の始末までしなくてはならないなんてさ」。みちは毎日こう言って嘆いた。
その年の4月。豊彦は堀江南小学校に入学した。しかし、ここでも彼は悲しい思いをしなくてはならなかった。
「やあい妾の子。知ってるぞ。お前のお母さんは本当のお母さんじゃないんだろう?」。級友たちはこう言ってはやし立て、彼を仲間外れにした。豊彦は、いつも一人で吉野川の岸辺に行き、ザリガニやタニシとたわむれて過ごしたが、そのような時、いつもその頬は涙にぬれているのであった。
そのうち、もっとつらいことが起きた。たった一人、用務員の娘ふじえだけは彼に優しくしてくれたのだが、たまたまその日、彼が傘を持って外に飛び出した瞬間、彼女とぶつかり、その日以来、ふじえは姿を見せなくなったのである。そして間もなく、彼女が肺結核で死んだといううわさが流れ、級友たちは、それが豊彦のせいだと一斉に非難をあびせた。その時、徳島に来た兄の端一から慰められたが、これは彼にとって一生消えぬ心の傷となった。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。