神はこの世界になぜ罪や悪を残しておかれたのか。
前に述べたように、神は人をご自分に似せて自由意思を持つ存在としてお造りになりました。自由意思であれば、神の言葉に背くことも従うこともできたわけです。その“背く”ことが罪や悪の初めであり、土台であるわけです。ならば、神は人間世界を、罪や悪があり得るものとしてお造りになった、ということもできます。
ではなぜ、自由意思の存在としてお造りになったのか。それは(再述になりますが)機械仕掛け、操り人形のような人間では面白くないとお考えになったからでしょう。
かつまた、人間は罪や悪に負けたり、屈したりするかもしれない[それは悪の勝利だといえるでしょう]が神は全能であり、神は究極のところで罪や悪をも支配しているからです。つまり、神の掌(たなごころ)で(神の許容された範囲の中での)罪や悪の活動であるといえます。
神は、罪や悪の誘惑・妨害・欺きなどを通して、人の従順を確認しようとされたのかもしれません。
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