いよいよプレイズ・エメラルド国際学校へ着いた。スラム街に立っている学校である。フィリピン特有の楽器演奏で迎えてくれた。子どもたちのうれしそうな顔。来てよかった!と心から思った。
プレスクールからハイスクールまでの生徒たちが、キリスト教に基づく愛を受けて、しっかり教育を受けていることがよく分かった。タガログ語のほかに1年生から英語を学んでいるという。ベネラシオン判事の、子どもたちに注がれる優しいまなざしが印象に残っている。
交流会では、小学生が順番に歌やダンスを披露してくれた。1人として恥ずかしがる子どもはなく、みんな素晴らしいリズム感をもって笑顔で踊ってくれた。お返しに、クラシックバレーとマジックをした。マジックに子どもたちは大喜び。そのあとみんなで「さくら・さくら」の大合唱となった。
全部の教室を案内してもらった。足踏みミシンもあった。理科室もあったが、実験のためには数個のビーカーがあるだけで、骸骨の標本もなかった。実験、実習材料があまりにも乏しく、もっとサポートできればもっとしっかり学べるのにと心が痛んだ。訪問の記念に植樹をと望まれ、子どもたちの成長を願いながらシャベルを握った。
この訪問の感動と感謝はますます深まっていった。もう1度あの子どもたちに会いたいと思っていた矢先、ベネラシオン判事から翌年の卒業式にゲストスピーカーとして出席してほしいと依頼された。身に余る光栄と受けて、7人で出席した。
卒業式の日。厳粛な国旗の入場に続き、国歌の斉唱。子どもたちは白い学士帽とガウンに身を包み、喜びいっぱいの笑顔で、小学校、ハイスクールの卒業式を迎えた。小学校は6年、ハイスクールは4年だった。
一人一人名前が呼ばれると、親子が手をつないで壇上に上がってきた。なんと誇らしげな彼らの顔だったことか。この日が来ることを、両親はどんなに待ち焦がれていただろう。父親が外国へ出稼ぎに行ってやっと卒業できた子どももいたかも分からない。フィリピンの人たちにとって卒業式は、日本の何倍も何倍も深い意味があると思った。
フィリピンの子どもからもらったたくさんの手紙の1つを思い出した。「私は無事小学校を卒業しました。今ハイスクールで楽しく学んでいます。どうか支援をやめないでください」と書いてあった。日本では、子どもから「小学校を卒業できてうれしい」という言葉は聞いたことがなかった。卒業の喜びがどんなに大きなものであるかに感動しながら、心からのお祝いの言葉を述べた。
卒業証書授与の時だけではなく、一人一人メダルによる表彰の時も親子で壇上に上がっていった。学業成績優秀者の表彰もあったが、日本ではない表彰に驚き感動して教えられた。それは、「時間厳守」「親切」「協調的」「創造的」「正直」「素直」「礼儀正しい」などで表彰されることであった。人格形成の大切な生活面のなんと素晴らしい教育法だろうかと感心した。ほとんどどの子も何かのメダルをかけてもらって互いにうれしそうだった。
フィリピン訪問に同行して、卒業式に出た日本の男子中学生は、帰国後感想を寄せてくれた。「今回エメラルド国際学校の卒業式に出ました。卒業は日本と同じように卒業証書をもらいます。その時、日本では多分ないであろう光景を見ました。それは、卒業生が父親か母親と手をつないで笑顔で壇上に上がっていったことです。僕はフィリピンの家族の絆がすごく強いと感じました。そして僕だったらどうだろうと思いました。親と手をつないで歩くなんて、絶対無理だ、いやだと思いました。日本とフィリピンのどこが違うのだろうかと考えました。フィリピンは治安が悪いです。でも家族の絆がとても強いところです」
少年が書いたように、ハイスクールの男の子も女の子も嬉々として親と手をつないで壇上に上がる姿に、私は目を奪われた。日本では、人前で親と手をつなぐのを嫌がる年頃である。卒業を前にしたどの親子もとてもさわやかで、気持ちの良いものを感じた。
なぜそんなことができるのだろうか。進級、卒業が家族にとって特別大きな喜びだからだと分かった。ドレスアップした母親は見なかった。洗濯してさっぱりした服に身を包んではじけるような笑顔の母親、誇らしげな父親、心から拍手を送らずにはいられなかった。
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