フィリピンでは、卒業や進級が家族にとってどんなに大きな喜びであるかを知ることができた。
教えられたことがある。子どもたちの夢の持ち方である。フィリピンの子どもたちは「大きくなったらお父さんの病気を治す手伝いをするために看護師になりたい。兄弟みんなが学校に行けるように先生になりたい。貧しい両親を助けられるように客室乗務員になりたい。貧しい子どもたちを守るために警察官になりたい」というように、自分の願いより先に、他者のために何々になりたいという発想に感心した。考えさせられた。
聖日礼拝は、ニューセンチュリー教会でささげた。美しいダンスと力強い賛美、涙のメッセージを頂いた。講壇の上に置かれた大きな壺に目が留まった。それは献金をささげられない人が、主にささげるために袋に入れて持ってきたお米を入れるための献金壺だった。貧しさの中にありながら、神様の恵みに感謝をささげずにはいられない人たちの心を知った。
子どもたちの家を訪問した。舗装されていない、でこぼこ道をフィリピンの青年たちに支えられて進んだ。道の途中では、ポンプで水を汲んで体を洗っている人もいれば、地面に座り込んで、歩いていく私たちを物珍しそうに眺めている男の人もいた。
生徒たちの家は皆土間だった。外から家の中まで丸見え。私たちは、笑顔いっぱいの家族に迎えられた。家具らしい家具は1つもなく、壁もなく仕切りは、カーテンかシーツまたは毛布だった。「どうぞお座りください」と指さされた椅子は、使い古して傾いていて今にも壊れそうな椅子だった。壊れないかと気遣いながらそっと座った。立派な家でなくても心から訪問者を迎えてくれるフィリピンの人の心の温かさをひしひしと感じた。
忘れられないことがある。教会の2階から手すりを持って降りてきたときだった。ダブダブの薄汚れたTシャツを着た小学校1年生くらいの男の子が、階段を駆け上がって来て「さあ、この手を持って」と言わんばかりに自分の手を私に差し出した。
びっくりすると同時にうれしくて涙がこぼれそうになった。どこからか現れて、私を助けようとしてくれた。親にあのお婆さんを助けてあげて、と言われて来たのではなかった。手を引いて下に降りたとたん、どこかへ飛んで行ってしまった。必要だと思ったら自然に助けられるフィリピンの子どもの素晴らしさ。今も感動がよみがえる。
貧しいながらも学校で聖書を学び、明るく生きるエメラルド国際学校の子どもたち。日本に比べると、フィリピンの子どもたちは、住むところ、着るもの、食べるものも少なく、貧困から切り離せないけれど、その貧しさにへこたれない強さ、明るさ、温かさを持っていることは素晴らしい。貧しさ故に人を助ける手、人のことを思いやる心が生まれる。
日本の中で豊かさ故に失われているもの、フィリピンで貧しくとも失われないものは何か、立ち止まって考えさせられた。私たちが受けている祝福にもっと感謝して、周りの弱い、困っている人々に関心を持って、その人たちのために何ができるかを考え、行動する人になりたいと思う。現代社会の在り方がこれでよいか考えてみようと思った。
英語の sympathy と compassion は、両方とも「同情」という意味を持つ。sympathy は心の中でかわいそうに思う、という意味。しかし compassion は一歩進んで、その思いを行動に移すことだと聞いた。福音書の中でイエス様が「かわいそうに思って」と書かれているところは全部 compassion が使われている。私も一歩前に出たいと思った。
1人の子ども教育費は年間約5万円。最初大きな額なので不可能だと思った。何とかできないか、考えてみた。1日のおかず代から150円を取り分けておく。1カ月で4500円。それを郵便局へ持って行って里子用の通帳に入れておく。なんと1年で5万4千円になり、1人の子の教育支援ができる。
こうして私はジェニファー・Lを9年間支援できた。彼女はよく頑張って何度も表彰されている。「頑張ったのでお母さんがアイスクリームを買ってくれて、夕食にスパゲティを作ってくれました」。支援に応えようとするけなげな姿にうれしく、主に感謝せずにはいられない。
私たちができることは、大海の中の一滴にすぎないかもしれない。しかし、大海は一滴一滴が集まって大海になっている。私たちも一滴になれるのではないか。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25章40節)
「するとイエスは言われた。『あなたも行って同じようにしなさい』」(ルカ10章37節)
これらの御言葉に導かれて、今日までフィリピンの貧困の中に生きる子どもたちを支援してきた。これからも支援を続けようと思っている。飢餓、貧困はたやすくなくなるものではない。
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