「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。『次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい』」(ルカの福音書24章45~49節)
6月といえば梅雨ですが、雨が多くて嫌な季節にしないで、日々の生活の中で心と体に神からの恵みの雨を豊かにいただきましょう。
クリスチャンとして人生を歩むことは実に感謝なことです。自分の心の器は小さくて、能力には限界があります。すぐに壁にぶつかり落ち込み悲しみます。しかし、小さい器の中で萎縮するのではなく、神と共に歩むことによって、神の愛に触れられて、人生のスケールがどんどん広がっていきます。だから、いつも喜びがあり平安があります。
まだクリスチャンでない方も、また教会と共に長く歩んできた「ベテラン」クリスチャンも、聖霊の働く信仰を信じて、自分の頑張りや努力、コネ、お金の力ではなく、神の力・霊的な力を体験してほしいと思います。十字架の場面でイエスを裏切ってしまった情けない弟子たちが、聖霊を受けて力強い証人として生まれ変わり、それによってキリスト教が世界に広まっていったのです。
今日の聖書の箇所であるルカ24章は、イエスの生涯のしめくくりの時に、どうしても弟子たちに伝えたい、福音の広がりについて語られています。
1. 十字架の死で終わるものではない
イエスは、私たちの罪を背負って十字架にかかって死なれ、3日目に死者の中からよみがえられました。イエスの名による罪の悔い改め、救いの約束(福音)が、ゴルゴタの丘から始まり世界中に、時間と空間、老若男女を問わず伝えられ、証しされ、現代を生きる私たちにまで広がっていきました。聖書で語られる恵みの約束は、この1冊の本の中に閉じ込められた小さな約束だと思い込んではなりません。
2. 1人の救い主からすべての人々へ
十字架上で死なれたのはイエスお1人ですが、救われ、神によって罪きよめられ、喜びのある神の子どもとされたのは、あらゆる国の人々でした。そして、私たちを含め多くの人々が、主の証人となりました。イエスの命によって、世界中のすべての人々が、神の愛の視野の中に入ってきたのでした。
3. あたなも天からの力を着せられる
あなたは、イエスが約束された聖霊の賜物(たまもの)を直接天からいただき、人生の目的やビジョンを持って、主の証人として歩んでいけるように変えられます。ペテロが経験したのは、魂の内側から造りかえられる、まさに大変身です。同じ十字架のイエスのもとから押し迫る恵みの広がりが私たちにもあるのです。
神の愛から脱落する者は1人もいません。どんな罪人でもイエスの前に罪を悔い改めて、私を救ってくださいと願うなら、必ず救われます。私の魂の器にも、神の聖霊を注いでくださいとお祈りしましょう。そして、神からの力をいただいて、主の証人として力強く歩んでまいりましょう。
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