「ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。『イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。・・・そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです』」(使徒の働き3章12~16節)
イエスを信じて歩んでいくということは、イエスの救いにあずかり私たちの命が変えられることです。そして、イエスはいつまでも変わることのない救い主ですから、「主の恵みは朝ごとに新たなり」というお言葉の通りに、イエスが働かれる所にはどこででも新鮮な恵みが与えられますから感謝します。
あなたの人生にはつらいことがあったかもしれません。しかし、あなたはイエスの愛に触れ、救われたのです。この救いによって私たちは生まれ変わらせていただき、日ごとに新しい恵みが与えられ、主と共に歩んでいくことができるから喜びましょう。
今日の聖書箇所は、ペテロとヨハネが神殿で祈り、「美しの門」を通ったときに、施しを求めてきた足なえの男を瞬時に癒やした(1~8節)後、引き続き起こったペテロの演説の箇所に当たります。この聖書箇所から3つのポイントを押さえておきたいと思います。
1. 癒やしは信仰生活の中で自然に起こる
ペンテコステによって誕生した教会には、キリストの愛、聖霊の力が働き、集う人々は毎日祈り、主イエスの御言葉に立ち、愛の交わりを成長させ続けていました。そのような状況の中で、ペテロとヨハネはいつものように宮で祈り、帰る道筋で物乞いの男に出会いました。
ペテロが「イエスの名によって歩きなさい」と言った結果、なんと瞬時に彼は癒やされたのです! 兄弟姉妹、この事をつかみ取ってください。ここで彼らの祈りを通して最初の偉大な奇跡の御業が体験されたのです。彼らは特別な準備、訓練をした訳ではありません。ただ聖霊が注がれ、素直な信仰生活をしている、その流れの中で癒やしの御業が当たり前のように起こっていることに注目しましょう。
ですから、私たちが信仰に励んでいるならば当然のように神の癒やしの御業、イエスによる癒やしが、ありのままのあなたの人生の中にも起こってくるのです。神の恵みが与えられることを信じましょう。
2. 癒やしはイエスの御名と御名を信じる信仰によって起こる
ペテロは16節で「イエスの御名に力がある」と語っています。イエスの御名とは、私たちの救い主のお名前ではありませんか! この御名に人々を救う権威があり、救いの力の出所があり、癒やしはイエスの十字架により完成しているのです。
御名を信じる信仰を用意して、イエスの御名の権威と、御名を信じる信仰が合わさるときに癒やしの御業は起こるのです。決して私たちの努力や頑張りや能力ではないことをはっきり知りましょう。あなたが頑張りすぎると神の御業を邪魔してしまいます。素直にイエスの力、権威を受け止めたいと思います。イエスの御名と御名を信じる信仰によって癒やされることを感謝しましょう。
3. 主の御前に自分の清さを求める
ペテロの演説はまだ続きますが、話の中心点は「悔い改め」(19節)、「邪悪な生活から立ち返る」(26節)ことになっていきます。イエスの御名にふさわしく御名を素直に信じる人の心は、主の御前に悔い改めて清められた心です。私たちの心は正しいと思う考えの中にも邪悪さが潜んでいることに注意しなければなりません。だからこそ、主の御前に自分の清さを求めようではありませんか!
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