公開講演会「戦没者遺骨収集と辺野古新基地建設問題」(明治学院大学キリスト教研究所主催)が12日、同大(東京都港区)で開催された。新基地建設が始まった辺野古には、いまだ多くの戦没者の遺骨が放置されたままだという。学内外から約50人が集まり、東京ではほとんど知られていない遺骨収集の現実と、そこから見えてくる沖縄戦の悲劇、沖縄が抱える基地問題について共に考えた。
この日講師として招かれたのは、沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(ガマを掘る人の意)代表で、沖縄大学地域研究所特別研究員の具志堅隆松(ぐしけん・たかまつ)さん。ボーイスカウトをしていた28歳の頃、本土から来た遺骨収集団に誘われて初めて遺骨収集に関わった。それ以来34年間、ガマ(沖縄本島南部に多く見られる鍾乳洞)やかつての激戦地に放置されている遺骨を収集し続けた。そのことが評価されて2011年に吉川英治文化賞を受賞し、16年に成立した戦没者遺骨収集推進法の整備にも尽力した。日本基督教団うるま伝道所の教会員だ。
最初に具志堅さんは、見つかった遺骨を、日本に2つだけある国立の戦没者墓苑(ぼえん)(千鳥ヶ淵戦没者墓苑、沖縄戦没者墓苑)に納めて終わりとするか、遺族に返すことをゴールとするのか、2つの違いがあると説明した。ガマフヤーの活動の大きな目的は後者だが、それは想像以上に至難な業で、収集した遺骨が誰なのか分からないと、遺族に返すことはできない。そのため、「遺骨自体から得られる情報」、「持ち物から得られる情報」、「出土場所から得られる情報」をもとに身元を割り出す作業を行っている。
しかし、その場合でも得られる情報は限られており、最後の望みがDNA鑑定だ。具志堅さんは、米国で戦争犠牲者の身元特定のためにDNA鑑定が行われていることを知り、それを厚生労働省に問い合わせたが、「沖縄の遺骨は、亜熱帯の環境で劣化が早く、DNAが採取できない」という返事だった。それでも、記名万年筆を持っていた遺骨を遺族がDNA鑑定して本人と判定されたことによって状況は一変し、沖縄戦戦没者のDNA鑑定の道が開かれた。ただし、鑑定に使われるのは歯のある遺骨だけで、今後は手足でも鑑定できるように要請していきたいと話した。
具志堅さんは、遺骨収集の中で感じる当時の軍隊の非情さや、戦没者に対する日本の行政の冷たさについて語った。兵士が認識票を付けたまま死なれると、どういう部隊がいるか敵に分かってしまうという理由で、上官がそれぞれの認識票を取り上げて保管しており、そのことが誰の遺骨か判明するのを妨げているという。また、「誰がどこの場所に配属されたかを教えてほしい」と厚生労働省に掛け合ったところ、「兵士の名簿がないから分からない」と断られたことも明かした。具志堅さんは、「戦争に行かせておいて、名簿がないというのは、あまりに無責任ではないか」と怒りをにじませた。
続いて、これまでの活動についてスライドを使って説明した。最初は具志堅さんが1人で遺骨収集を行っていたが、次第に市民参加型の遺骨収集へと広がり、さらには、遺骨収集が雇用支援となった。作業員として雇用されたのは、ホームレスや失業者、生活保護受給者などだ。具志堅さんは、作業の様子と、出てきた遺骨の写真などを映し出しながら、国が請け負う遺骨収集事業とは違い、ガマフヤーで作業する人たちがいかに遺骨を大切に扱っているかを語った。彼らは、亡くなった人に寄り添うかのように、骨に付いた砂を「痛かっただろう」と言いながら丁寧に取り払い、終わりの時間になっても、いつも作業をやめようとしないという。中には、自殺するためにここに来たという人もいて、ここで作業したことで家族のもとに帰る決心をした人もいる。
具志堅さんは、「生きていたら、帰ることができる。国は本当に国民に残酷なことをした」とつぶやくように語った。スクリーンには、うずくまった姿の遺骨、崩れ落ちた格好のままの遺骨・・・これまで具志堅さんが収集・記録してきた沖縄戦の遺骨と戦争遺物が次々に映し出された。
沖縄の本土復帰から15日で45年がたつが、本土と沖縄の心の距離は開くばかり。それをはっきり示しているのが基地問題だ。政府は外交や国防といった観点でその必要性を論じるが、具志堅さんをはじめ沖縄の人にとってみれば、これは命の尊厳の問題なのだ。
先月、新基地建設が始まった辺野古のキャンプ・シュワブは、1945年4月に米軍が沖縄本島に上陸して以降、占領地域に設けた収容所があった地区の1つで、当時は大浦崎収容所と呼ばれていた。そこでは感染症や栄養失調などによる民間人の死亡者が続出していたという記録が残っていることから、多くの遺骨が残されたままだと具志堅さんは考えている。「行政は注意をしながら工事をすると言っているが、そういう問題ではない。戦死者の上に軍事基地を作ることは、死者に対する冒とくだ」
具志堅さんは遺骨収集を通して分かったこととして、「人を殺してはいけない」、「殺されることを認めてはいけない」、「自分を殺していはいけない」の3つを挙げた。そして、「殺す」を「いじめ」に置き換えれば、これら3つのしてはいけないことは、現在でも形を変えて日本社会に残っていると指摘した。そして最後に、「沖縄の不条理は、本土の人の足元にもある。人間は一人一人が大事な存在であり、生きているだけで価値のある存在。遺骨も人権問題として扱われるべきなのではないか」と最後に訴え掛けた。
今回の講演会は、明治学院キリスト教研究所主任の植木献准教授が昨年、沖縄を訪れた際、うるま伝道所で、遺骨収集と基地問題との関わりについて話を聞いたことがきっかけだった。植木准教授はこの講演会の意義を次のように語る。「具志堅さんの取り組みは、私にとってエゼキエル書37章に書かれている『枯れた骨』が生き返る希望の意味を初めて実感させるものであり、沖縄の現実を『バビロン捕囚からの解放』の文脈で理解することの重要性を感じさせられるものだった。これは日本の教会の社会的な課題であると同時に、復活信仰の問題と結び付いた課題だと思っている」
講演会に参加した女子学生(明治大学1年)は、「沖縄で起きている問題はすべて、人間の人権に関わることだと思った。どういう場合であっても、人が殺されることは、人としてあってはならないこと。大きな視点でこういった問題を捉え、いろいろな人と考えていけたらと思う」と感想を語った。