好む好まざるを問わず、霊の世界に行く
聖歌を賛美に用いている。聖歌や讃美歌は大好きである。しかし正直に言うと、聖歌の中の天国のパートはあまり好きではない。理由は分からないが、多分メロディーや詩句に原因があるのかもしれない。実は賛美しているときに、何とはなく沈んだ嫌な気分になってきたので、何の賛美だろうかと調べてみると天国の讃美歌であったり聖歌であったりした。初めに好き嫌いがあった訳ではなく(先入観)、曲を歌ってから好き嫌いが判明したのである。
天国に関しては、映画でも見たことがあった。これも何となく印象は良くなかった。風景は天国へ行くか行かないかの選別のシーンだったと思うが、時が止まったような静けさと、人間も何か生き生きしたところなく、無機物のように描かれていた。
黒い装束をまとった権力者たちが、無表情に冷酷に人々を選別して引き裂き、連れ去って行く。これらが音も立てす、叫び声もなく、静かに連れて行かれていく。・・・こういう映画のシーンが焼き付いて離れず、何となく黒く暗いイメージしか湧かない。
黙示録の映画も見たが、全編黒く暗い感じで一貫していたという印象のみが残っている。だから、いまだに、聖書の黙示録は偏見を持って見ているし、あまり読みたくない感じである。
天国は雲も雨もなく晴れ渡り、争いも病もなく健康で、毎日神様を見、接して暮らすというふうに描かれているが・・・。
天国は霊の世界であることを忘れてはならない。また、私たちは好む好まざるを問わず、天国か地獄のいずれかの霊の世界に行かねばならないのである。ならば地獄へ行きたい人はいないであろう。
「この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、・・・」(マタイ13:49)
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