日本でも広まりつつあるフードバンク
フードバンクをご存じだろうか。フードバンクとは、「一般的に食品企業の製造工程で発生する規格外品などを引き取り、福祉施設等へ無料で提供する団体、活動」のこと(農林水産省ホームページより)。分かりやすく言えば、困っている人に食料や物資の無料提供(支援)を行う活動だ。
米国では40年以上の歴史を持つが、日本ではまだ認知度は低い。ただ近年、日本の教会の中でフードバンクへの取り組みが広がりつつある。台湾でフードバンク活動を行っている中華基督教救助協会(以下、救助協会)が東日本大震災の時に駆け付け、その支援を受けた日本の教会が主体となってその活動を今も継続しているのだ。
巨大な倉庫に集まる教会ボランティア
昨年9月14日、台湾の救助協会を訪ね、「1919フードバンク」活動に同行した。
台湾の最北部に位置する台北市から高速道路で約2時間半かけて台中市に向かう。台湾の南部は沖縄に似て、ヤシの木が茂り、サトウキビ畑が延々と続く。
到着したのは、大きな倉庫がある南投県竹山という地区。すでに台中市全地区からさまざまな教会の車が集合していた。
この日は台中市の50のキリスト教会が参加したという。牧師から信徒まで、中には仕事を休んでこの活動に参加するボランティアもおり、荷降ろし作業に追われていた。
まず、担当者が受付で自分の受け持つエリアごとのリストを確認する。そこには、フードバンクを届ける家庭のデータが記されており、これを見ながら必要な物資をそろえるのだ。
この地区のフードバンクの責任者である蒋(ジャン)氏に話を聞いた。
「『1919フードバンク』は善い隣人になることを目指します。家族に届けに行くことはとても大切です。取りに来てもらうのではありません。同じ立場、同じ目線で仕えていくのです。彼らにもプライドがあるからです」
ここではクリスチャンは原則、救助協会のユニフォームである黄色いジャケットを着る。
「毎回同じものを着ていくことで覚えてもらえます。いろいろな詐欺が横行しているので、信頼が大切なのです」
広い倉庫の中には、天井まで段ボール箱が積まれ、何十人というボランティアが協力しながら箱を開け、食料や生活用品を並べていく。
その中にはファミリーマートの社員もいた。クリスチャンでない彼らも協賛し、率先して作業に参加しているのだ。このようにさまざまな企業や大型ショッピングモール、食料メーカーが無償で物資を提供し、人も派遣しているという。
倉庫の所有者である洪(ホン)氏に尋ねると、「ここは普段、自動車のメンテナンス工場で、私が経営しています。フードバンクのために、前日から会社は営業をストップして、場所を提供しているのです」との答え。
車に積まれた物資は、必要量をリストで確認した後、倉庫から各教会へ運ばれる。教会に着くと、牧師や信徒が手分けして、フードバンクの黄色いバッグに家庭ごとにパッキングしていく。ここでも、受付でもらったリストが欠かせない。不備がないか、念入りに確認するためだ。
教会が家庭へ届ける大切さ
今回は特別に、台中市霧峰(ウーフン)地区にある立新教会の王(ワン)牧師の支援活動に同行させてもらった。立新教会では、中部地区で6つの家庭に食料などを届けている。
「1919フードバンク」の袋を持って、王牧師はある家庭を訪問した。家は小さく、生活が苦しいことが一目で分かる。家の主は初老の男性で、目が不自由だった。妻は東南アジアの女性で、子どもは小学5年生と4年生の2人。子どもも教会の児童館に通っている。
「王牧師はどのような人か」と質問すると、「本当に親切だ。もう長い付き合いになる」と笑顔で答えた。
王牧師は2カ月に1度、各家庭に食料と生活必需品を届けている。バッグから食料を出し、1つ1つ内容を確認しながら渡す。このように家を訪問することで関わりが生まれ、何より家庭状況を把握できる。訪問先では、いつも祝福の祈りをささげているという。そこから教会への信頼が生まれ、聖書の愛、福音が届いていくのだ。
このような活動が台湾各地で一斉に行われているという。1999年の台湾大地震を経験して、台湾全土の教会が教派や信条を超えて一致することができたのだ。彼らの願いはただ1つ。「福音を伝える」、そして「仕える」ことだ。
共に手を携えて、1つの目的のために仕えていく姿は、今の日本のキリスト教会にも大きな刺激とチャレンジを与えるのではないだろうか。文化や社会構造の違いはあるが、必要とする人々が待っていることは紛れもない事実だ。このような取り組みは、日本でも十分できるはず。1人また1人と立ち上がることを期待したい。
救助協会は災害支援団体として、台湾国内にとどまらず、中国や日本、アジア圏で活動を行っている。フードバンク、児童福祉の働きのために多くの支援金を必要としている。詳しくは、ホームページ、または フェイスブックを。