映画「男はつらいよ」シリーズの主人公・寅さんこと車寅次郎の大ファンである関田寛雄牧師(日本基督教団神奈川教区巡回教師)が10日、横浜YWCA(横浜市中区)のキリスト教講座で「寅さんとキリスト教―喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と題して講演を行った。
「私にとって『寅さん』は常にイエス・キリストの福音の例証としてのみ意味を持つものであります」
関田牧師は、監督の山田洋次氏、寅さんを演じた俳優の故・渥美清氏、そして寅さんという役どころそのものに焦点を当てて、寅さんとキリスト教の類比性について語った。会場には約70人が集まったが、リアルタイムで寅さんに親しんできた世代の参加者が多かった。映画の各エピソードを交えながら話す関田牧師に、うんうんとうなずきながら、懐かしそうに耳を傾けた。
関田牧師は2001年に雑誌「信徒の友」の特集で山田監督と対談をした経験がある。そこで山田監督が非常にキリスト教の影響を受けているという発見に至ったという。実際に山田監督が少年時代を過ごした満州で、牧師であり医師でもあった故・小川武満氏(平和遺族会全国連絡会代表)と出会い、家族ぐるみの親交を持っていた事実を紹介。また、「山田監督自身が幼い時に貧しさを体験しているからこそ、その作品全体に、つらく貧しくても生き抜いていく健気さ、名もない人間に流れる優しさが特質として表れているのでは」と話した。そして、山田監督の数ある作品の中でも「寅さんは間接的に福音を見事に表現している作品」という。
関田牧師が特に心引かれるのは、寅さんが持つ「悲哀に裏付けされた独特のユーモア」「悲しみを突き抜けたユーモア」だ。その魅力は、寅さんを演じた渥美の演技の深みと直結している。まさに渥美自身、寅さんその人かというように、少年時代は父親とそりが合わずに何度も家出を繰り返していた。雑踏する浅草に生活の場を見いだし、テキ屋の手伝いなどをして過ごした。寅さんで見せる見事な啖呵売(たんかばい)も、さまざまな実体験の賜物ゆえだそう。また、20代後半で病に冒されて、しばらく闘病生活を送っているが、この時のことを渥美は「地獄を見た」と振り返る。関田牧師の目に渥美は、「一生戦いに生きた人」「十字架を負って歩き続けた人」として映る。妻が熱心なカトリック信徒であった渥美は、晩年に病床で洗礼を受けている。
関田牧師は、寅さんの新作が公開されるたびに、映画館で2回以上見たという。封切りはいつも土曜日で、牧師としては翌日の礼拝に備えなければならないのだが、どうしても気持ちがそわそわして、結局、映画館に行ってしまう。寅さんの言葉があまりに心に響くので、その一言一句を聞き逃したくないと、併映されていた「釣りバカ日誌」の後にもう一度寅さんを見直してから家に戻る。それから説教準備を始めるのだが、メモしておいた寅さんの言葉を使えば、原稿がはかどる。「だから、寅さんの封切り翌日の礼拝メッセージでは必ず、教会員は映画のさわりを聞かされることになった」と関田牧師は笑う。
関田牧師がそれほどまでに寅さんの口から出る言葉に心を奪われたのは、それが「人を生かす言葉」だからだ。第39作で、受験に失敗して気落ちした甥の満男が、他の誰にも言えない思いを寅さんに打ち明ける場面がある。「人間は何のために生きてるのかな」。それに対して寅さんが答える。「何て言うかな、ほら、あ~生まれて来てよかったなって思うことが何べんかあるだろう。そのために人間生きてんじゃねえのか」。寅さんのこの返答は、苦難に耐え忍んで生きていれば「忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5:4)という聖書の言葉につながるものがあると関田牧師は考える。
また、寅さんがよく口にする言葉に「それを言っちゃあおしめえよ」がある。聖書でも、人に対して「ばかもの、愚か者と言ってはいけない」(マタイ5:22参照)と教えているが、「究極の言葉を人間は言ってはいけない。それを言っていいのは神だけ。まして相手を全面否定する言葉を言ってはいけない」という寅さんの反権力の姿勢と優しさを関田牧師は感じるという。言葉は経験から出てくるもの。その経験をした人にしか言えない言葉がある。学がなくとも経験から得た知恵によって生きる寅さんの言葉は、何にも揺り動かされない確かさがあるのだ。
寅さんには「フーテンの」という形容詞が付く。「風の吹くまま、気の向くままよ」と全国を渡り歩く寅さん。だが、好き勝手に生きているように見えながら、行く先々で出会う人々と、喜ぶ人とは共に喜び、泣く人とは共に泣き、人と人を結び付ける働きをするその姿は、「自由と愛に満ちている」と関田牧師は語る。「主イエスを見上げて歩む自由さは、隣人愛へと展開する自由。自己本位の自由ではなく、愛は自由でなければならない」。関田牧師は、聖書の語る自由と愛の結び付きを寅さんの中に見るのだという。
「使徒パウロはエフェソの信徒への手紙4章15節で、愛に根ざして真理を語ることの大切さを語った。真理だけでは、人の心を傷つけることもある。愛だけでは甘えが生じる。愛において真理を語るときに初めて、その真理が相手の心に届き、人を生かす。寅さんは、愛に根ざした真理がどれだけ大切であるかという福音のメッセージを、間接的ではありながら、見る人に伝える作品だ」
そして、関田牧師は次のように話を締めくくった。「寅さんが失恋して失意のどん底にあっても、映画の終わりでは青空が広がり、凧が上がる場面が映し出される。十字架を経た復活の明るい新しい命のイメージが、いつも映画の終わりにはある」
最後に、「イエス様、いつかあなたの喜ぶような優しい男になりたくて」「男というのはつらいもの、それでもあなたの愛がある、赦(ゆる)しがある」と、渥美が歌う主題歌「男はつらいよ」の賛美歌風替え歌を、参加者の手拍子に合わせて披露。講演はなごやかな雰囲気のうちに幕を閉じた。