早稲田大学にほど近い「早稲田奉仕園」。その敷地内に建つAVACOビルの2階に「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」(wam)がある。
ここでは、日本軍「慰安婦」問題をテーマに、さまざまな資料や写真が公開されている。2005年のオープン以来、世界各国から多くの人が訪れ、日本の歴史の深い闇に埋もれた女性たちの「魂の叫び」に耳を傾け、心を痛めている。
「私は加害国に生まれた女の1人、元日本兵の娘として、この問題からは絶対に目を離してはいけない、闇に葬ってはいけないと思うのです」と話すのは池田恵理子さん。NHKのディレクターとして長年活躍し、定年後に同館館長に就任した。
池田さんは、報道の自由が奪われ、「慰安婦」問題が歪曲されて伝えられている現実に、報道に携わっていた頃から疑問を抱いていた。元「慰安婦」の女性が韓国で名乗りを上げ、「慰安婦」制度が徐々に実態を現し始めた1990年代には、自らこの問題に真正面から向き合う番組を制作。多くの人の共感を得た。しかし97年以降、何度も「慰安婦」をテーマにした番組の企画を立てたにもかかわらず、ことごとく却下されてきた。
「何かがおかしい・・・」
池田さんは気付き始めていた。
一方、一兵卒として中国の戦場に行った経験を持つ父には、高校時代から戦場体験を聞き取ってきたが、「慰安婦」についてはもちろん、住民虐殺や略奪などの加害体験は、娘である池田さんに語ることなく、2年前に亡くなったという。
同館に収蔵されている膨大な資料の多くは、「慰安婦」支援者や研究者たちが自ら足を運び、集めてきたものだ。「敗戦後、日本軍は、これが戦犯裁判で裁かれることを恐れて、資料の多くを燃やしてしまっているのです。しかし、私たちは粘り強く聞き取り調査と資料発掘を進め、現在では、『慰安所』が軍の指示で設置・運営されていたことをアジアの各所で確認するまでに至りました」と池田さんは話す。
エントランスには、設立以来、建設委員会の女性たちの一致した強い思いから、アジア各国の日本軍による性暴力被害者155人の写真が飾られている。彼女たちの多くはすでに亡くなっているが、生前、名前や写真、証言をwamで公表するのを了解してくれた人たちであり、すでに亡くなっている女性については遺族に確認をとったとのこと。「ここにいる女性は氷山の一角。彼女たちの背後には、苦しめられ、辱められ、人生を奪われて、沈黙したまま亡くなっているおびただしい数の女性がいるのです」
毎年、同館ではさまざまなテーマで企画展を行っている。2007年には「中学生のための『慰安婦』展」を開催。中学生にも分かるよう、企画展には工夫を凝らしたという。
1990年代後半から「慰安婦」問題に関しての報道が激減していき、中学生が使用する教科書からも「慰安婦」の記述が消されていった。教育現場でも、この問題から目を逸らさせようとしていたのだ。
「日本軍が発案、計画し、各国の女性たちを騙(だま)して連行し、兵隊たちの相手をさせたという歴史から私たちは目を背けず、2度と戦争を起こさないという決意、少女や女性たちを性奴隷とするような非人道的な扱いを2度と繰り返さないという強い意志を持って、この現実を次の世代にも、後世にも伝えていかなければならない」と池田さんは言う。
同展のカタログをもとに発行した『日本軍「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます。』(合同出版)の中には、日本軍兵士の証言も含まれている。彼らは、日本軍の駐留した場所に確かに慰安所があったことを認め、輪かんに加わったり、強かんしたりしたと語っている。慰安所には、ほとんどの兵隊が通っていたといい、「どうせ死ぬなら、人並みに女遊びでもしてから死のう」と思っていたと話す元兵士の証言も収められている。「日本軍の蛮行は、数知れない」との証言もある。彼らの中には、数十年たって加害者としてこの問題に向き合い、「慰安婦」被害者と面会して謝罪したり、「慰安婦」裁判で加害事実の証言をしたりした者もいた。
同書には、多くの元「慰安婦」の証言も克明に記されている。オランダ人のジャン・ラフ=オーハンさんは、インドネシアで生まれたオランダ人だ。敬虔なカトリック信徒の父から、強い信仰と深い祈りを教えられた。少女時代のジャンさんは、将来、修道女になることを夢見ていたという。
1942年、日本軍はインドネシアのジャワ島に侵攻。オランダ軍は降伏した。フランシスコ修道会の教員養成大学の最終学年だったジャンさんは、日本軍が侵略して間もなく、抑留所に入れられた。そこに日本軍の将校がやって来て、「慰安婦」になる女性を選別し、無理やりトラックに乗せ、有刺鉄線で囲まれた家に彼女たちを連れて行った。
恐怖で震えながら祈ったが、軍刀を持った軍人に無理やりベッドの上に引きずり出され、刀を突き付けられ、強かんされた。その夜から毎日のように日本兵が列を作り、次々とやって来ては彼女を強かんしたのだった。
終戦から50年、韓国の元「慰安婦」たちが沈黙を破って声を上げたのを知って、ジャンさんもこれに加わった。旧ユーゴの紛争でボスニアの女性たちもまた強かんされていたのを知り、「『慰安婦』問題は続いている」と感じたからだという。
「現在に至るまで、紛争が起きている地域では女性が『性のはけ口』となって強かんされ、性奴隷制も後を絶ちません。『慰安婦』問題は今も続いているのです。そして、この悪しき制度を長期にわたってアジア全域に作ったのは、他でもない日本軍だったということを私たちは忘れてはいけないのです」と池田さんは訴える。
同ミュージアムの開館時間は、水曜から日曜までの午後1時から6時。現在は、14回目の特別展として「地獄の戦場 ビルマの日本軍慰安所~文玉珠さんの足跡をたどって~」が開催されている。
ビルマは、19万人以上の戦死者を出した激戦の地だ。一方、わずか3年半の日本軍占領の間に、分かっているだけでも60箇所以上の慰安所を日本軍は設置している。ビルマ人女性が名乗り出たわけではないが、朝鮮半島や中国、台湾から連行された女性たちや元軍属だったビルマ人男性たちの証言によって被害状況が明らかになってきた。この特別展は、朝鮮半島からビルマに送り込まれ、「慰安婦」として過酷な生活を強いられながらも、激戦の地を生き延びた文玉珠さんの証言から、その足取りと慰安所の実態に迫っている。
池田さんはこのように訴える。
「『慰安婦』問題というと、政治や外交の問題と思いがちですが、決してそれだけではありません。私たちが戦争のない平和な時代を生きるために、知っておかなければならない被害と加害の歴史なのです。問題があまりにも大きすぎて、『何をしたらよいか分からない』と思う人もいるでしょう。まずは関心を持ってください。そしてwamに来て、被害女性たちの体験とその人生に触れてみてください。その人がどんな女性だったのか、どんな家に生まれたのか、将来は何を夢見ていたのかなどを知っていくうちに、興味を惹(ひ)かれる女性が出てくると思います。まずは、その女性を入り口にこの問題を考えてみてください。wamには、膨大な証言記録、文書、書籍、映像、写真などが保存・公開されています。これらを調べていくうちに、おのずと自分が何をしなければならないかが見えてくると思います」
2月11日には、「ビルマに連れて行かれた朝鮮人『慰安婦』」をテーマに特別セミナーが、AVACOチャペル内で開催される。セミナー終了後には、池田館長のガイドによる見学会も開催予定。詳しくはホームページを。