主イエスが十二人を選ばれたことが共観福音書に記されています(マタイ10章1‐4、マルコ3章13‐19、ルカ6章12‐16)。
マタイでいうと「十二人の弟子」と一節にあり、「十二使徒」と二節にある対照が気になります。これは簡単に言えば、弟子は学ぶ者、使徒は派遣される存在ということでしょう。いつまでも学んでいるわけには行かないのです。派遣されるために学び、学びを派遣される中で新しくしていく、そうした弟子と使徒とのバランスを私たちも主のためにとらしていただく光栄を担っているのです。
さて十二人のリストがありますが、有名人の名簿ではありません。バルトロマイ、熱心党のシモンはどういう人かは分かりません。タダイも多大な貢献をしたでしょうに何も知りえません。
アルファイの子ヤコブ、彼はよく知られていたゼベダイの子ヤコブに比べ年少か小柄だったためか小ヤコブと呼ばれている以外何の情報もありません。
言ってみればチビのヤコブと言われるようなアルファイの子ヤコブ、彼も含めて「忘れられた使徒」と呼ばれるような人々が三分の一もいたということは何か心が暖められます。
伝道戦線はこうした無名の忘れられてしまったような人々によって担われてきたのです。そうした幾多の隠れた名もない人々、有名人ではなく、無名な人々が土台となって教会は形成されてきたことを忘れてはなりません。そもそもこの「十二」という完全数も失われたイスラエルの十二部族に代わって、主による新しい共同体、新たなイスラエルとしての教会形成のために強調される象徴的数字です。
主の体なる教会形成のために名もなき私たちが選ばれ用いられる、人には忘れ去られても神は忘れずに私たちの存在と働きを憶えて下さるゆえにベストを尽くせるのです。
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山北宣久(やまきた・のぶひさ)
1941年4月1日東京生まれ。立教大学、東京神学大学大学院を卒業。1975年以降聖ヶ丘教会牧師をつとめる。現在日本基督教団総会議長。著書に『福音のタネ 笑いのネタ』、『おもしろキリスト教Q&A 77』、『愛の祭典』、『きょうは何の日?』、『福音と笑い これぞ福笑い』など。
このコラムで紹介する『それゆけ伝道』(教文館、02年)は、同氏が宣教論と伝道実践の間にある溝を埋めたいとの思いで発表した著書。「元気がない」と言われているキリスト教会の活性化を期して、「元気の出る」100のエッセイを書き上げた。