<本文と拓本>32文字(201+32=233)
茫然無得(茫然で得るなく)、煎迫轉焼(煎迫は轉焼し)、積昩亡途(積むもほの暗く途は亡び)、久迷休復(久しく休復に迷う)。於是(ここにおいて)
我三一分身景尊弥施訶戢隠真威同人出代(我が三一の分身、景尊なる弥施訶=メシア=は真威を隠しとどめ人と同じに世に出る)。
<現代訳>
茫然として得るところなく、焼かれるかのような日々、善行を積んでも前途暗く、迷うばかりで立ち返る道を待つしかありませんでした。
このような中、わが三一の分身である景教の尊主・メシアが真の姿を隠して人と同じに世に出られました。
<解説>
分身は子の意味。三一の表記はすでに述べたように、漢字で最初に出たもので、父と聖霊とが唯一でありつつ三位格の存在を伝えています。弥施訶はメシアの当て字で、景教文書に多く出、キリスト表記はありません。それは、景教がアラム語、シリア語を話し書いていたからです。景教経典の『一神論』では弥師訶、『序聴迷詩所經』では迷詩所、迷師訶、弥師訶とも書かれています。
碑文にはイエスの用語は出ず、分身やメシアです。『序聴迷詩所經』では移鼠と書いています。『一神論』では、翳數、客怒(kadisa、シリア語音で聖)と書かれています。
後半はメシアの降誕記事が書かれています。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
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