出張で、市谷グランドヒルという所に行きました。その大きなロビーで時間を待つ間、ロビーにある二十メートル程もある巨大な壁を見ていました。それは、細い凹凸が限りなくある綺麗な色の壁で、其処を、無数の水の細い流れが流れていました。それを見ている私は、まるでその流れが私の心に注がれる神様の恵みの様な気がして幸せでした。――高校時代に読んだあるドイツ文学に、ルビーの一個の宝石に注いだある少年の情熱について概ね次のような情景が描かれていました。
「この少年は、宝石店の店頭に飾ってある、大きくて、神秘的に輝く宝石ルビーに魅せられました。そのルビーは、限りなく奥深い赤色に輝いていました。この宝石を見つけた少年の目は、惹きつけられ魅惑されて、驚きに大きく目が開かれて行きました。次の日も、また次の日も、同じ店先を訪ね、その同じ宝石を見つめては、その素晴らしさに際限なく魅かれて行くのでした」
私達は、ルビーよりも、もっと良いものを持って、熱心に教会に通います。それは、イエス様が、神様の御意志によって、信じる私達の心の中に、ご自身を表わして下さった、宝があるからです。真にイエス・キリストこそ心の宝です。この方を信じる時、私の様に、人はすべてが変わるのです。今まで、何でもない様に見えていた日々が、突然輝いた一日一日となり、身の回りのすべてが幸せに輝いて来るのです。
時には神様が、遠くにおられる様に、思われる事もあります。然しそんな時でも、お祈りしてお願いすれば、また傍らに来て下さいます。罪深い私達です、思う事も、口にする事も汚れています。あれをもうしません、これをもう思いませんと、心に定めて神様に誓う事もあるでしょうが、それよりも、力を尽くし、心を尽くして神を愛し、神を褒め称えるならば、神様は、深く、もっと心の奥底から浄めて下さるお方です。