トランプ氏当選の衝撃から約1カ月余り。世界は次第に沈静化へ向かっているようだ。さっそく安倍首相と会談したり台湾の総統と電話で会話したり、とやはり何かと話題となるトランプ氏。その先行きは今のところ歓迎ムードのようである。中国とのやりとりを除けば、だが・・・。日本もTPPのことでは、恐らくトランプ氏に翻意してもらいたいのだろうが、それはSMAPが大みそかに紅白に出演するのと同じくらい難しそうである。
さて、本コラムもその中心的な役割は果たしたように思う。「次期大統領はドナルド・トランプ氏」という結果が出ているため、これ以上新たな要素を付け加えることは蛇足となる。しかし本コラムが「キリスト教から見る」と掲げているように、政治外交の視点とは異なった立場で米国の宗教性を明らかにするという目的については、まだまだ言わなければならないことがある。
特に、宗教的な意味での(本来の)「福音派」がどのようにして政治集団と呼ばれるようになったかについては、あまり多く語る機会が今まではなかった。そこで、数回にわたって、このあたりをつまびらかにしていきたい。
進化論論争については以前の記事でも少し触れたが(関連記事:キリスト教から米大統領選を見る(21)福音派は超現実肯定主義者? 進化論論争の「功」と「罪」(2))、進化論を学校教育で教えることを禁じる「反進化論法」をめぐっての一連の裁判、特に有名な1925年に行われた「スコープス裁判」によって、根本主義者たち(聖書を字義通りに解釈する者たち)は全米の嘲笑を買い、その後相手にされなくなってしまった。
そこから20年余り、世界は第2次世界大戦へ向かう激動の時代へ向かっていたため、彼らの動向を気にする者も、それを記述した資料もほとんど公になっていなかった。しかし、彼らは南部バイブルベルトといわれる地域を中心に、地道に聖書学校を造り、海外宣教を繰り返していたのである。この辺りは、ジョエル・カーペンターという学者が当時の資料から優れた著作をシリーズで発刊している。
「新福音主義」とフラー神学校
しかし、このようなアンダーグランドな在り方と決別し、社会に受け入れられる保守派の在り方を見いだそうとした人々がいた。彼らはかつて南北戦争以前の「プロテスタント時代」に、聖書に基づいた道徳的な生活を行っていたという意味での「福音主義」を新たに現代に復興したいという願いを込めて、「新福音主義」と命名する一派を立ち上げた。彼らが帰属する具体的な集団として、「全米福音派同盟(NAE)」が1942年に生み出されている。
この働きの中心を担った人々は、やがて一般社会でも通用する聖書解釈の必要性を感じ、1947年にカリフォルニア州パサデナに従来の在り方とは一線を画する神学校を立ち上げた。これが「フラー神学校」である。現在はフラー神学大学となり世界60以上の国、108を越す教派から来た4300人以上の学生が学ぶ世界最大級の神学校にまで成長した。
創立者は、莫大(ばくだい)なオレンジ農園の経営者を父に持つチャールズ・フラー。彼は父からの遺産を投じて、フラー神学校を建設する。フラー自身が1930年代後半からラジオ伝道をしていたため、多くの視聴者から献金が寄せられた。そして彼の意志に賛同したのが、フラー神学校の初代学長となるハロルド・オッケンガ、そして後の大衆伝道者の雄、ビリー・グラハムらであった。
彼らを神学的な側面からサポートしたのは、カール・ヘンリーらフラー教授陣であった。フラー神学校には大きく2つの目的があった。
① 一般社会に通じるキリスト教信仰をアピールすること。
② リベラリムズと肩を並べるような学術性を持つこと。
ディスペンセーショナリズムとは?
しかし ① については、大きな弊害があった。それはディスペンセーショナリズムという考え方である。ペンテコステ諸派には今でもおなじみのものだが、世の終わりが間もなくやってきて、その際にテサロニケ第一に書かれてあるような「携挙」が実際に起こり、その後にキリストが「再臨」され、千年王国が生み出されるという教えである。この出来事に向かって、7つの時代区分(ディスペンセーション)が存在し、おのおのの時代の徴(しるし)が啓示として明らかにされる、というものであった。
一見すると永井豪の『デビルマン』やハリウッドSF映画のパクリ(というか彼らの方こそ聖書をパクったのだ)とも受け取られるが、これを当時の根本主義者たちはしっかりと信じていた。特に時代が第2次世界大戦とその後の東西冷戦期でもあったことから、核ミサイルによる世界大戦が「キリスト再臨」の徴であるとささやかれていた時代でもあった。
だが、米国の多くの人々にとって、この考え方はやはり狂信的で受け入れがたいものであった。
そのことを感じていたフラー教授陣は、創立者チャールズに掛け合い、彼の死後にディスペンセーショナリズムを学校の信条として掲げることをやめさせたのである。これによって、多くの保守的なキリスト教家庭からその子弟が学校にやって来る道が開かれた。
もう一つ、② については19世紀末から起こった「ファンダメンタリズム論争」に対する保守派からの回答であった。やはりリベラリズムが主張する学術的知識を自分たちも受け入れ(もちろん受け入れられる限界はある)、そこで対等に議論することができるなら、多くの人々に受け入れられる存在となれるのではないか。そう期待してのことであった。またアカデミズム一色の当時のキリスト教神学界に、きちんと自分たちの居場所を確保したいという願いもあったことであろう。
① と ② を満たすような教授陣をそろえることで、フラー神学校は新福音主義の旗手として立ち上げられたのである。例えば、カール・ヘンリーは1949年にボストン大学から博士号を習得しているし、2代目学長となったエドワード・カーネルはハーバード大学卒であり、ジョージ・ラッドに至ってはハーバードで博士号も取得している。ボストン大学、デューク大学、ハーバード大学など全てリベラリズムであり、セキュラー(世俗世界)でも「高学歴」とみなされる大学の出身者でフラー神学校は固めたのである。
ここに大衆伝道者のビリー・グラハムが加わる。彼はウィートン大学出身ということ以上に、福音主義の超教派宣教団体「ユース・フォー・ザ・ミッション」初の専属宣教者として名をはせていた。彼については、言うまでもないだろう。
このように、社会に対して開かれた福音主義を標榜した新福音主義者たちは、聖書解釈に関する頑迷なこだわりを和らげ、社会の出来事や世界情勢に関してコメントを発するようになった。その発信機関となったのが「クリスチャニティ・トゥディ」誌である。
先日、フラー神学校学長らが大統領選を総括するような声明を発表した、という記事を本紙で拝見したが(関連記事:米フラー神学校学長らが声明、大統領選中の福音派による「憎しみに満ちた言動」を非難)、これなどフラー神学校が発表して然るべきものであると受け止めることができる。新福音主義の名残と伝統が、きちんと受け継がれている。
和合的であると同時に、ある種、迎合的であると言われても仕方のない姿勢であろう。しかし、福音派のアイデンティティーとして1940年代後半から組み込まれた「1つのイズム」と捉えるなら、今回のトランプ・ショックの後に、融和と再団結を促す声明は、米国全体の運営にとっては歓迎すべき発言となるであろう。
次回は、この新福音主義者が次第に分裂していくさまを見ていきたい。そこから、政治的な意味での「福音派」が生み出されてくるからである。
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