イスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が2014年4月、ナイジェリア北東部のボルノ州チボクにある中高一貫の女子学校を襲撃し、女子生徒276人を拉致した事件で、拉致された少女たちのうち、100人以上が過激思想に染められたり、解放後に直面するであろう社会的なレッテルを恐れたりして、帰りたがらないでいるという。
ナイジェリア政府は、現在も拘束されている少女たちのうち、83人の解放のためにボコ・ハラムと交渉している。しかし、チボク開発協会のポグ・ビトラス会長はAP通信に対し、多くの少女たちが恥ずかしさのため、戻る気になれないでいると述べた。
今月13日、ボコ・ハラムとの交渉の末、21人の少女が解放された。ビトラス氏のコメントは、この解放後に述べられたものだ。21人が解放されたという知らせは、ナイジェリア聖公会に「喜び、安堵(あんど)、楽観」をもって受け入れられた。しかしビトラス氏は、地元社会でさらなる虐待を受けることを避けるため、解放された少女たちは海外で教育やケアを受けるべきだと述べた。
「私たちは、彼女たちが、地元社会、またこの国から(どこか別の国に)連れて行かれることの方が良いと考えています。(ボコ・ハラムの元捕虜という)不名誉が彼女たちの残りの人生に影響するからです」とビトラス氏。「実際、ボコ・ハラムによって虐待されたと見なされている女性は悪いイメージで見られるでしょう」と語った。
これまでにボコ・ハラムから逃れた少女たちは全員、「ボコ・ハラムの妻たち」というレッテルを貼られ、自分たちの生まれ故郷を去っている。
児童売買に関する国連特別調査員でもあるビトラス氏は18日、声明で、ナイジェリアは「彼女たちを不名誉、村八分、拒絶から守る」ために、「断固とした態度」を取らなければならないと述べた。このコメントは、特にチボクの小さな町、イスラム教徒が多数派を占めるナイジェリア北部にある保守的なキリスト教の地域社会に向けられた。
解放された少女たちの証言によると、ボコ・ハラムに拉致された少女たちは、最初に捕らえられたとき、2つのグループに分けられた。多くがキリスト教徒だった彼女たちに、ボコ・ハラムは、イスラム教に改宗して聖人となる選択肢を与えたという。
既に解放された少女たちと、現在交渉が続けられている少女たちは全員、改宗を選ばず、奴隷となることを選んだ第2グループに属していた。ビトラス氏によると、この第2のグループに分けられた少女たちは自分の両親に対して、それ以後、別のグループに分けられた少女たちを決して見ることはなかったと語ったという。解放された少女たちは、家庭内労働者、運搬人として使われたが、報道によると、性的な虐待を受けることはなかったとされている。