1. 名は体を表す
あなたは、ご自分の名前の由来をご両親に聞いたことはありますか?
昔から「名は体を表す」と言われています。名前は、その人の性質、実態を表すものだけに、命名は、誰もが真剣に行うものではないでしょうか。実際、お子さんに名前をつけるときに、随分と悩む方を何人も見てきました。
新しい命に名を付けるとき、親御さんは「こんな子どもに育ってほしい」という思いを込めます。
2. 聖書の名付け
聖書の中に出てくる登場人物の名前にも、特別な意味が込められています。
聖書の冒頭に登場するアダムとエバは、エデンの園に住んでいた最初の人間です。天地創造の第6日目に、創造主は人間を「土の塵(ちり)」から形作りました。
土(アダマー)から造られたので、アダムという名前が神によって付けられました。妻のエバも、「彼女がすべて命あるものの母となった」ので、エバ(命)という名前が付けられました。
他にも、アブラハム、イサク、ヤコブ・・・。聖書の登場人物の名付けには、その人物の個性や誕生の由来、神様からの使命が反映されていました。
3. 名前に込められた神の思い
実は、私たち一人一人の名前にも、神様の愛が流れています。
私事で恐縮ですが「智征(ともゆき)」という名前は、両親が付けてくれた名前です。「才智に長けた道を征(ゆ)く者となってほしい」という意味の命名だったようです。
私自身、自分の名前が、長い間好きではありませんでした。なにか頭でっかちなイメージがあったからです。名前に、コンプレックすら持っていました。
しかし、クリスチャンになり「新しい命」を与えられてから、自分自身の名前に神様の計画も現れていると気が付きました。
「智」という漢字は、ギリシャ語のソフィアという単語に対応するそうです。そして、ソフィアには「神からの史上の智慧(ちえ)」という意味があります。
「神からの智慧を征く者になってほしい」という神様の思いが、自分の名前に込められていると感じました。
私は、父も母もクリスチャンではありません。一族の中で私以外、誰もクリスチャンはいません。「智征」という名前は、聖書から名付けられたものではありません。
しかし、神様が自分の名前が付けられるときにも働いていたと知りました。福音に出会い、自分の名前が贖(あがな)われ、私は自分の使命を悟ることができたのです。
それ以来、自分の名前が好きになり、自分のことをもっと肯定的に見ることができるようになりました。
神様は、私たち一人一人を、大切な存在としてデザインされました。そして、私たちに目的、計画、使命を与えてくださいました。
この神様から与えられた使命は、私たちの名前にも込められているのです。
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