思想家であり武道家の内田樹氏と僧侶で宗教学者の釈徹宗氏の対談式講演会が15日、群馬県前橋市の日本基督教団前橋教会で行われた。同教会創立130周年記念として開催されたこの講演会には、早くから注目が集まり、予約チケットは、当日を迎える前に完売となった。
前橋教会は1886年7月12日、新島襄に師事した海老名弾正によって設立。以来、多くの福祉関係者、教育関係者を輩出し、地域に仕え、地域と共に130年間歩んできた。
講演会には、内田氏と釈氏に加え、同教会の川上盾(じゅん)牧師、後援したキリスト新聞社から季刊誌「Ministry」編集長、松谷信司氏の2人がダブル司会という形で登壇した。今回のタイトル「ハタから見たキリスト教」は、同誌の特集記事のタイトルと同名。同誌ではこれまでに、まさに「ハタから見たキリスト教」を、著名人のインタビューを加え、多く掲載してきた。
内田氏は、関西のミッション系大学神戸女学院で長年、フランス哲学、倫理学を教授。退任後、合気道道場を開き、武道家としても活躍。近年では、ブログやツイッターでの発言が話題を呼び、そのジャンルは、政治、社会問題、映画論、武道論、漫画論など多岐に及ぶ。
釈氏は、浄土真宗本願寺派如来寺の住職。落語や上方芸能にも精通。著書『ゼロからの宗教の授業』では、宗教をマンガに例えるという独自の視点を持っている。釈氏によると、神道はアンパンマン、仏教はモンスター、キリスト教はスラムダンクとのこと。
今回の講演会のテーマについて、川上牧師は、「キリスト教は現在、日本において大変苦しい状況にある。信徒の数は人口の1パーセントにも満たない。しかし、現在までにキリスト教が日本に与えた影響は少なからずあった。クリスマスが習慣化し、ミッションスクールと呼ばれる学校は全国にある。キリスト教とは日本にとって何であったのか。この先、どうなっていくのかを『ハタ』からの視点で、お2人にお話していただきたい」と話し、講演を始めた。
キリスト教との出会いについて
内田氏、釈氏ともに「ハタ」からキリスト教を見ている立場だが、その知識は深く、キリスト教とのゆかりも深い。2人はどのようにキリスト教に出会ったのだろうか。
内田氏は、「私は、大学院でユダヤ人哲学者について研究をしていた。この哲学者はユダヤ教に傾倒している思想を持っていたため、まずはユダヤ教についての書物を読んだり、有識者に話を聞いたりしていた。そうしているうち、キリスト教に代表される反ユダヤ教思想についても研究するようになった。神戸女学院の教員として採用されると、入学式や卒業式には礼拝が必ずあった。書物を通して知っていたキリスト教を、いきなり礼拝という『行為』を通して知ることになり、自分がその礼拝の当事者になったことに非常に感動した。チャプレンが祝祷をささげると、自分がこのキリスト教の学校で『歓待』されているのを感じた。また、教務長になったときには、学校行事の礼拝のたびに、聖書を読み上げなければならなかった。何度も繰り返しているうちに、染みついてきたように思う。さまざまな事柄において、一定の距離を置きながら親しみを持っているが、とりわけキリスト教には親しみを持っているように思う」と話した。
同教会の川上牧師も学ぶことが多いというほどキリスト教の知識が深い釈氏は、主に宗教研究、教育倫理、社会活動などを通してキリスト教を知る機会が多いという。「これらの分野は、どこに行ってもクリスチャンの方々に出会うことが多い」と話した。また、バチカンに行ったときには、ミケランジェロの「ピエタ」の前で時空が歪むほどの衝撃を受けたといい、「一瞬、改宗しそうになった」と話し、会場を沸かせた。
キリスト教徒はなぜ1パーセントにとどまるのか
日本における信徒の数は、なかなか1パーセントを上回ることができない。しかし、内田氏によると、「いわゆる『クリスチャン』は少ないかもしれないが、キリスト教の儀礼・・・例えば、クリスマスにあらゆる意味で『祝う』人数は、もしかしたら国民の9割くらいいるのではと感じる。教会で結婚式を挙げたり、牧師に結婚式の司式をしてもらった・・・という割合は、6~7割いるのではないだろうか。一方で、葬式は仏教式で行い、戒名をつけてもらったりすることが並立するのが、日本の宗教性。他の国や地域には類を見ない形だと思う」と話した。
釈氏は「日本人に『神様はいると思うか?』と質問すると、『いる』と答える人は2割程度で、調査した25カ国中最下位。しかし、『いない』と答えた数もそう多くはない。『分からない』と答えた数は、ダントツでトップ。この『分からない』が日本人の宗教観なのでは」と話した。
また、キリスト教が土着しない理由の1つとして考えられるのは、「祖先崇拝が禁止されているから」といった意見も多い。釈氏は、「戦国時代にキリスト教が入ってくると、その教義に魅力を感じ、興味を持つ人が増えた。しかし、ひとたび『先に亡くなった祖先は救われない』と話すと、何時間も泣き続けた人もいた。この時代、信仰は持たないまでも興味を持ったり、十字架をぶらさげていた人もいたなどの記述が残っていることから、一定の広がりを見せたものの、祖先崇拝を禁じたことで大きくならなかったのではとも考えられる」と述べた。
一方で、宣教師が各国でキリスト教を伝え、大きくその人口を伸ばしていったのに対し、あまり強い意見を持たず、主張を嫌う日本人が、民衆の力でそれを押し返したという「宗教観」があったのも確かだと川上牧師は指摘した。
釈氏によると、日本の宗教観は「テーブルの真ん中は空けておく」ことなのだという。これは、しっかりと太い軸を持たないことで、イメージとして、そのテーブルに仏教、儒教、神道などは着くことができる。「しかし、キリスト教は真ん中にドンと軸を持ってくる宗教。『正統』と『異端』、『信者』と『未信者』など、軸を中心に分けるという思想がある。これは、宗教にとって、とても大切なことではあるが、ここが日本人の宗教観と合わないところの1つ。しかし、全く合わないわけではない。浄土真宗も、そういった性質を持った宗教の1つだが、国内では最も大きな宗派の1つになっている」と話した。(続きはこちら>>)