もしイスラエルへ行くなら、シナイ山に登ると決めていた。六日戦争が終わったころで、鈴木氏もまだ登ったことがなかった。イスラエルでは榊原茂氏がガイドを務めてくれた。彼もまた、ガイドを始めたばかりだった。
険しい冬のシナイ山は、登山道も整備されていなかった。「普通の靴でも登れますよ」と言われていたので、みんな普通の靴を履いていた。いっしょに参加した前田基子神学生はパンプスだった。しかし真夜中のシナイ山は零下に冷え込み、岩だらけの道は凍っていた。それでも寒く険しく滑りやすい山道を、主の手に導かれながら、一足一足進んだ。兄弟団の工藤牧師は、青年にエスコートされ、やっと頂上に立った。しかしシナイ山から下りた先生は、別人のように輝いていた。
シナイの夜明けは美しかった。岩だらけの峰々を紅に染めて、朝日が輝く。どんな絵筆でも描写できない天然の美だ。朝日を受けて虹がかかった。「わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる」(創世記9:13−14)。ノアへの契約のことばを思い出した。聖書のことばどおり、まん丸い円形の虹を、雲の中に見下ろすことができる。美しいという表現が陳腐なほどだ。神の約束の中にある幸いを感謝しつつ、私も弱った若い女性をエスコートしつつ、山を下りた。
工藤牧師をエスコートした青年と、私がエスコートした若い女性は、聖地の出会いがきっかけで、帰国後結婚した。
この時は、イスラエルの救いを熱心に祈る兄弟団の牧師や信徒といっしょで、強烈な祈りと熱心さをも学ぶ旅でもあった。また、カンバーランド長老教会の瀬底牧師との良き交わりを満喫する旅でもあった。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。(Amazon:天の虫けら)